【スノボ歴34年のTA目線】スノーボードで人生は変わるのか?

スノーボードで人生は変わるのか?

スノーボードで人生変わった!…と思ったら変わってなかった

2019.01.31
ひげすけの記事、なかなか哲学的で面白い。

雪国という『環境』

スノーボードで人生は変わるのか?

そもそもスノーボードに限らず、ウィンタースポーツというのは一般的に多くの人はなかなか関わらないスポーツだ。そこには環境という大きな隔たりがある。冬のスポーツ=雪上スポーツという、雪の上で行うスポーツであることからも雪の降らない地域の人はなかなか関わらないだろう。

雪国に育っても、子どもの頃にちょっとした!という人が多く、ウィンタースポーツをしない大人は多い。

そして、大人になると人は何かを新しく始める時、何かと理由をつけ、重い腰を上げたがらない。

もうそんな歳じゃないなどと年齢を理由にしたり、社会や会社での地位から、0ゼロから物事を始めたがらない。また、怪我をしたら仕事に支障をきたすなど、やらない理由を山ほど見つけるのがうまい。怪我をしたらなどというのは、普通に日常生活でも起こりうることだし、車を運転していても事故を起こさない保証などない。

まさにそんな中、たまたま整った環境がありスノーボードを始めることになったひげすけ(ほりたみわ)。

おそらく私が直接みてきた中でも、女性で43歳からスノーボードを始めるというのは、これまで無かったと思う。しかし面白いことにひげすけは、やらない選択を話すことは一度も無いまま、スノーボードを始めてしまったのだ。

スノーボードを始めた時点で、脳内では滑れる自分しか見ていないのだろう。そしてスノーボードを始めたことで、身体的にもメンタル的にもプラスに感じることが多かったらしい。それがスノーボードにハマった理由でもあるに違いない。

『師(グル)』と『弟子(シシュヤ)』

スノーボードにおける私とひげすけの関係について話しておこう。

これまで仕事としてスクールやコーチングを数多くやってきてはいるが、そもそも私はプライベートにおいて指導者という意識はない。単純にスノーボードを楽しんでいる、一スノーボーダーにすぎない。人に強要もしたくないし、教えたいとか育てたいとかそんな欲もない。

立場上、プライベートでも少なからずともアドバイスする状況から逃れられないこともある。ただ、私には些細ではあるが一つのポリシーみたいなものがある。

それは身内であったり、プライベートで親しい間柄の相手には自ら指導しない、ということ。「他人の釜の飯を食え!」という主義なのだ。

何故かって?

それは気心知れた間柄で熱血感を出したり、甘やかしを持ったり、衝突する状況が生まれるのが煩わしいからだ。

ひげすけはこれまで10回そこそこ短時間ではあるが毎回、滑りたい!というモチベーションを維持しながら続けてきている。そんなひげすけでも時には「もうやらない」モードになる時がある。

そう、衝突するときだ。

早く滑れるようになりたい!というひげすけと私との温度差から生まれる衝突だ。これに関しては一方的に私が悪いと反省はしているし、改心したと思っている。

そんな私たちの関係は、指導する者、される者。教える者、教わる者。そんな関係ではなくどちらかといえば師(グル)と弟子(シシュヤ)のような師弟関係に近いのではなかろうか。

まぁ師にとっては都合のいいスタイルだ。

『楽しい』というモチベーションを持ち続ける重要性

さて、上達していく上で師と出会えるということはかなり重要なことである。

漠然と上手くなりたいではなく、こうなりたいと具体的に感じることが必要だ。

世の中には上手いスノーボーダーはいくらでもいるのだが、カッコいい!とかあんな風に滑りたいな!みたいな気持ちで見ているだけではそうはなれない。お気に入りのスノーボーダーのDVDを、穴が空くほど観たとしてもきっと憧れのままで、せいぜい形を真似たニセモノで終わってしまう。そしてその過程は、一人模索のループの中、決して楽しいものにはならない。

そこで重要なのは、あんなスノーボーダーになりたいと強く思える人に出会うことだ。

この人の全てを吸収したい、追いつき追い越したい、何なら最高のライバルになりたいくらいと思える相手と、どれだけ多くの時間を共有できるかで上達速度は極端に変わる。間近で直接見て滑るだけでも多くのことを吸収出来るし、そもそも上手くなりたいではなく、この人になりたいくらいのスタートなのだから理論的なだけでなく感覚的なことまで聞いて体感すればいいだけなのだ。

同じ感覚を共有できれば、それだけ近づくことができるし楽しさも共有できるようになる。

「楽しい」を持ち続けるにはそういう共有者が居ると居ないでは大きく違ってくる。

その相手は友達だったり、パートナーであったり、いつもゲレンデで見かけるだけの人かもしれない。だがその共有者こそがあなたにとっての師になるのではないだろうか。

『弟子』に学べ~

ひげすけが私を師と呼ぶならそんな光栄なことはない。嫌な気はしないものだ。私はこれまで特定の師に仰いだことはない。それは自分の中に核となるものを既に持っているからだ。なのでよりその精度を上げるため気になる多くの人と滑って探ってきた。

これまで一緒に滑りたいと思う、多くの仲間や著名なスノーボーダーと、共にしてきたが私にとっての師は、そんな全てのスノーボーダーかもしれない。

私にはひげすけの前に弟子と呼べる人間が一人居る。ひげすけの言う「優しいコーチ」だ。私の目指すところを同じように考えプッシュしあえる仲だ。当然、一緒に滑っていても楽しいし思いが同じだから気づきも与えてくれる。

そしてこれまで居なかったタイプの思考を持っているひげすけからも多くの学びを得ている。

そう、私は弟子から学んでいるのだ。いちいち弟子には言わないが…

もしあなたの前に弟子にしてください!という人が現れたら迷わず受けた方がいい。

自分のために!

『変化』とこれから~

人生が変わったとは言わないが、私のライフスタイルにおいてスノーボードは欠かせないものであったのは間違いない。

ひげすけのように雪国とは無縁で生きてきた人にとっては大きな変化であると思う。そう人生が変わったと言っていいくらい。

そして私も弟子を持つということを改めて考えることで、接し方、ものの捉え方が変わってきたと言っていいだろう。

師と弟子の、これからの成長や変化が、私自身も楽しみで仕方がない。