——愛して、迷って、かみさまに還るまで
あのとき、かみさまのこと、ぜんぶ忘れてた。
子供の頃からかみさまにふつうに話しかけていたのです。誰かに教わったわけでもないのに。
朝起きたら「おはよう、かみさま」って言っていたし、カップヌードルの懸賞も、オールジャパンのサイン色紙も大学受験もちゃんとお願いしてました。
でも気づいたら、それやらなくなっていた。
たぶん、願い事はあらかた叶っちゃって、誰かを好きになったからです。
かみさまより“その人”の方が大事になってしまうことがある
高校生のときは電話で1時間とか平気で話していたイイノ、大学で出会った麻雀部かつ燻製部だったけーた、ちょっと年上で包容力があって、わたくしの人格「みーやん」がいちばん甘えた人、丈晴。
そのあと15年一緒にいたメケヤマさんと、ツインレイだったはるじと、今一緒に暮らしているじゅんさん。
そして、ちまきさん。昨年お迎えした狆の男の子。
おしりに黒い稲妻の模様があって、わたくしがすっかり忘れていた“龍のたまご”を、右上のかみさまが「これ、かえったよ」と教えてくれました。
ちまきさんがかみさまかどうかは、よくわかりません。
でも、そうだとしても、そうじゃなかったとしても、ちまきさんは、まちがいなく、祈りのかたちでした。
わたくし、多神和(たみわ)と申します。
「たくさんの神」と「たくさんの人格」、両方を名前に入れました。そんなつもりもなかったけど、気づいたらそうとも取れる名前になってました。
わたくしの中には、みーやん(2〜3歳)、のっしー(防衛本能)、プンプン(キレる)、みかん(中学生)など、複数の“わたし”が住んでいます。
診断名でいうと多重人格。いまはDIDって呼ぶそうです。
でも最近は、これはこれで、かみさまとの距離のひとつなのではと思うようになりました。
わたくしを守るために、それぞれが現れてくれた。そう思った方が、すこしだけ生きやすい。なんて思っていましたが、気づいたら「心を許せる相手」にしか現れていないようです。
それで、ですよ
ある日、インド部屋(うちの納戸をDIYで改造した部屋)で、X(もとはTwitter)経由で知り合った、亀井さん(仮名)から、電話がかかってきたのです。
わたくしにとって亀井さんは、“絵”という祈りの中で、ずっと背中を追いかけてきた人。
笑いと余白と線で世界をすくう、わたくしの「かみさま」みたいな存在でした。
大学時代からの憧れの存在である亀井さんがフォローしてくれたことも驚きでしたが、まさかこうして電話で話す日が来るとは。
電話では、どこからか「男の話」になりまして。
わたくしがどんな恋をして、どんなふうに傷ついて、でもどんなふうにそこから何かをもらったか。
「それ、もう本にしなきゃダメだよ」
亀井さんは、静かに、でもはっきりと、そう言いました。
わたくしは、インド部屋のカウンターチェアに座りながら、メモを取りながらその一言にうなずきました。
だから、これを書いていきます。
けーた、丈晴、メケヤマさん、はるじ、じゅん。そして、かみさま。
この物語は、かみさまに恋していたことを忘れて、男たちを愛して、傷ついて、でもやっぱりかみさまを思い出していくまでの話です。
かみさまは、誰かを深く愛しているときには消えます。わたくしの右上から。
ふっと、気配ごといなくなります。
それで、その恋が壊れたときに、また戻ってくる。「戻ってきたよ」とも言わずに、ただ、いる。怒ってもいない。拗ねてもいない。「で?」って顔すらしていないのです。
でも、いまはわたくし、ちゃんと一緒にいます。かみさまと。
そしていま、わたくしはまた、かみさまと一緒に、かみさまを探しています。
「かみさま」って、どうしてひらがななの?
“神様”と書くと、なんだかかたくて、ちょっと遠い存在になってしまうから。
わたくしにとってのかみさまはもっと身近で、もっと話しかけやすい存在でした。
名前じゃなくて、呼びかけのようなもの。
「おばあちゃん」とか「おかあさん」みたいな、そんな“声のやわらかさ”をまとった存在。
だから、かみさまと書きます。
これから先の物語でも、ずっとそう呼びます。
つづく。