矛盾にこそ、大人の美学がある
2000年の6月、デヴィッド・ボウイが立った場所は、ただの巨大フェスのステージではありませんでした。それはグラストンベリー・フェスティバルという、ひとつの文化そのものです。

グラストンベリー・フェスティバルは、音楽イベントであると同時に、価値観の交差点です。ロック、ポップ、ダンスミュージックはもちろん、政治、環境、スピリチュアリティまでが混ざり合い、「今、世界はどこへ向かうのか」を問いかける場所です。
観客は単なる消費者ではなく、その場を共につくる当事者として集まっています。だからここでは、テクニックやヒット曲だけでは通用しません。生き方そのものが、問われます。
少し時代を遡りますが、1990年SOUND+VISIONツアーでボウイは、「過去を振り返らない」と宣言しました。「過去曲はもうやらない」。懐かしさに頼らず、“今”を生きるという意思表明です。そこからのライブでは4、5曲は演奏したかもしれないとでも実際には、有名なヒット曲たちが次々に演奏されました。ボウイファンなら2度とライブで聞けないと思っていた曲ばかりです。
矛盾しているように見えますよね。だけど、「過去曲を演奏する」え?それはどういうこと?
でもここにこそ、「大人の美学」があると思うんです。
過去を引き受け、関係を更新する
彼は「過去そのもの」は受け入れなかった。けれど「その過去とともに歩んできた人々との関係」は、ちゃんと引き受けていた。その引き受け方には、責任と覚悟がありました。
1990年および2000年のボウイは、かつての代表曲を「若い日の遺産」ではなく、「いまの自分が責任を持って鳴らす音」として届けていたんです。
拒んだのは「完成された自分」という幻想
ボウイが受け入れなかったのは、「自分はもう完成された存在だ」という思い込み。
過去の成功にとどまらず、伝説に甘えることもなかった。
ヒット曲を歌いながらも、そこに安住しない。過去を使うけど、居場所にはしない。その距離感が、彼を「いまを生きる表現者」として立たせていました。
関係性にも通じるボウイの哲学
年齢を重ねるほど、人は多くのものを抱えるようになります。
でも、全部を受け入れようとすると、人間関係は重くなり、そうして動けなくなってしまう。
ボウイが見せてくれたのは、「引き受ける責任」と「受け入れない自由」を、両方持つという姿勢でした。
声の出し方に表れた姿勢
彼の楽曲の魅力に「声」があります、伸びやかな高音は、未来や理想であり、低音は、今ここにいる観客を包み込む。その両方を行き来できるのが、大人の魅力であり、ボウイの成熟でした。
静かに、でも確かに選び取る
グラストンベリー・フェスティバルが持つイベントの狙いとそして20世紀最後の2000年に、年代の区切り。であると同時に、彼の生き方の提示でもありました。大人になるって、必要なものを見極めて、静かに引き受ける。そういうことなのでしょうね
人生は選曲
人生は「選曲」です。「選曲」とは「選ぶべき曲を決めること」と同時に「選ばない曲を決めること」です
あの夜、ボウイは「引き受けること」と「受け入れないこと」を過去のヒット曲を歌うことで見せてくれています。
引き受けることと受け入れないことを決めた際に
2016年1月10日 18ヶ月間にわたる肝臓ガンの治療も効果がなく、彼は他界しました
最後に出たアルバムはBlack Star 死ぬ2日前 2016年1月8日。
最後のアルバムの楽曲「★(Blackstar)の冒頭では下記のように歌います
I’m not a film star
I’m not a pop star
I’m not a marvel star
I’m a blackstar
かつて映画に多く出演したり、Ziggy Stardustや、The Thin White Duke、Major Tomなどポップスターアイコンと言われたボウイ。遺作となったアルバムの1曲目です。最後の最後の自分が誰なのかを宣言、死を引き受けることと受け入れないことを決めたミュージシャンの最後の宣言だったと思います。
引き受けることと受け入れないことを決めた際に、誰かに自分が誰だと伝えるとして、あなたはなんていいますか? 僕は「DJ AKKY」です。そして選曲家です。





















