湯川真紀子のコトワザ・ジャイアント
お笑い芸人、湯川真紀子が諺や慣用句など、こすられまくった喩え言葉についてニヤニヤしながら書いています。
「俎板の鯉」
外で銃声が聞こえる。
そして、人が走り回る足音。罵声。
俺は、人気のない倉庫の片隅に身を潜めていた。
先程撃ち抜かれた太ももが窓から差し込む月の光でぬらりと光っている。
こんな時だというのに、俺は無性に干し葡萄が食べたくなった。
ポケットを漁ってみるが、出てくるのはミンティアやそれを買ったコンビニのレシートばかり。
干し葡萄なんて出てきやしない。
当たり前だ。
大人はポケットに干し葡萄を入れていたりしない。
畜生、何でだ。何でこんな時に干し葡萄が食べたくなるんだ。
こういうときには普通、タバコが吸いたくなるんじゃないのか。
それなのに、俺の舌は今、猛烈に干し葡萄を欲していた。
あの小指の先の先ほどの、紫で茶色の小さなシワシワ。噛みしめれば酸味と甘味が広がり、まさに滋味。天然のグミ。天然の滋味。グミ滋味。じみグミ。・・・確かに干し葡萄はグミにしては地味過ぎる。
仕方なく俺はミンティアを三粒、口の中に放り込もうとした、その時。
強烈な光が俺の目を射ぬいた。
倉庫の入り口が大きく開かれ、サーチライトが俺を照らしていたのだ。
この倉庫に裏口はない。
俺の手から、ポロリとミンティアが三粒、転がり落ちた。
まな板の上の鯉
盾を抱えた機動隊がサーチライトを背にして次々と入ってくるのがスローモーションのように見える。
マイケル・ジャクソンのPVみたいだな、と、俺は場違いなことを考えていた。
「君は完全に包囲されている。」
拡声器がそうがなりたてる。
「ここに裏口はないし、なによりその怪我では走って逃げることなど不可能だ。君はすでにまな板の上の鯉なのだよ。」
「ヨシオ!」
今度は拡声器が母さんの声で喋り始めた。
「あなたはもうまな板の上の鯉なのよ。無駄な抵抗はやめて出てきてちょうだい」
野次馬が口々に言っているのが聞こえる。
「まな板の上の鯉だ」
「まな板の上の鯉だ」
「まな板の鯉だ」
「爼上(そじょう)の鯉だ」
「鯉だ」
「いやまな板だ」
ちょっと待ってくれ。俺は本当にまな板の鯉なのか。
いくら鯉だってまな板の上では暴れるんじゃないのか。
「君は今、いくら鯉だってまな板の上で暴れるんじゃないかと考えているだろう。」
拡声器に図星をさされて俺は驚いた。さぞやハトが豆鉄砲をくらったような顔をしていたに違いない。
拡声器は続けた。
「鯉には体の横腹に側線器と呼ばれる器官がある。これは水の流れや圧力を感じる非常に敏感な器官である。そこで、料理人は鯉をまな板の上にのせ、この側線器を包丁で一撫でする。するとこの非常に敏感な側線器を撫でられた鯉は気絶して動かなくなってしまうのだ!!」
夜の風が俺を撫で、そして俺は気を失った。
俺が目を覚ましてからの悲喜こもごも、それはまた別のお話。
イラスト:ほりたみわ