『喜びにつけ悲しみにつけ、花はわれわれの不断の友である。
われわれは花とともに食べ、飲み、歌い、踊り、恋にたわむれる。
花を飾って結婚式を挙げ、洗礼式をおこなう。
花がなくては死ぬこともできない』
-岡倉天心-
11月はとうとう花を撮ることができなかった。
撮る時間を作らなかったのは他でもない自分自身。
つくりたいものがつくれないということが、こんなにも耐え難いことだとは思わなかった。
かろうじて仕事をしたら疲れ切って、何も出来そうになく、生きている意味も分からなくなりそうだった。
生きるために生きていてはいけない。
そう思いながらも、永遠に変わり続けて流れていく波にもまれ、日々に疲弊する。
いつもは写真を撮るために花を選ぶけれど、時々は飾るためだけの草花を部屋に置いている。
主役に花を持たせるために買って、すっかりそこに居座り続けた利休草ともついにお別れの時が来た。
別にこれは撮らなくてもいいか。
投げやりな気持ちで花瓶を手に取ったその瞬間、萎れた葉の曲線とその表面の皺一つひとつが強く私を惹きつけた。
なんて美しいんだろう。
撮るなら今しかない……。
程なくしてセッティングを終えると、迷いなくアングルを決めてシャッターを切った。
あの瞬間に全てが見えていたみたいにすんなり撮り終えてしまった。
この世には、生きるものが最後に放つ一瞬の美しさがある。それを知ったのは、大切な友人が亡くなる直前だった。
きっと人間にとっては簡単なことではない。
社会の中で悩みながら、自分自身と向き合いながら、その魂を磨き上げることが出来る人は少ないだろう。
しかし、植物はどうだろうか。
自然が作り出した完璧なまでの輝きを最後まで放ち続けてしまう。
何のためでもない。
その瞬間をこの目でとらえ、表すために自己を磨くのだ。
そんなことを感じた今日。