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「愛」と「別れ」について考えてみた
ゴダイゴの名曲、銀河鉄道999の中の「別れも〜愛の〜ひとつだと〜」という歌詞があるじゃない?あれ。
メケヤマさんとのお別れがそれでした。えぇ、メケヤマさんとお別れしたんです。
というか、書いておきながらアレですが、「別れ」とはなんなのかという話になってきちゃうやつですねこれ。
一緒に暮らしていた二人が別々に暮らすことなのか、愛し合ってたふたりの気持ちが離れたことをお別れというのか。
999の歌詞は前者だろうから、今回はそっちの「別れ」についてお話しますよ。
というわけで、先月メケヤマさんとの別居が始まりました。いろいろありまして今は山梨と富山で別々に暮らしてます。
どうしてそうなったか。
別れも〜愛の〜ひとつだと〜〜というわけなんですが、もう少しだけ言うと、これまでの15年間で一番愛が深まったから!
職業的に一般的な夫婦よりは一緒にいる時間も長かったですし、霊性を高めあうことにおいても日々二人でいろいろやってきました。
そんな二人が15年間一緒に過ごして…これからについて二人で考えた時、「このまま一緒にいることは二人にとって最善ではない」という考えになりました。なので不仲によるものではないの。
お互いがお互いに与えられることはやりきった感があって、まだやってないことは何だろうって考えたら「別れ」だったというね。
愛し合っているからこその選択です。
って書くとかっこいいけど、この選択に至るまでも勇気というか、えいやっ!という覚悟みたいなものは必要でした。それまでの15年を手放すって簡単じゃなかった。人生の3分の1以上だったし。嫌いになってお別れするほうがよっぽど楽だし、むしろ一緒に20年、30年って過ごすほうがもっと楽。
でもお互い人生に対して貪欲というか、求めてる先が同じだったの。だからこそこのまま一緒にいてはそこにたどり着けないという結論に。
今別々に暮らしてるけど、毎日LINEもしてヨガの報告しあったり、お仕事についての相談したり、一緒に住んでた時と変わらないというかむしろ以前より充実してる感すらあるくらい。
お別れと現状の報告をいろんな人にしてるけど、理解してくれる人もできない人もいたり。でもそこは全然重要じゃないからいいのいいの。
我執なく相手のために行為できるかどうか。
「愛」なんて他の誰かに理解してもらうようなものじゃないもんね。
そういう愛による別れもあるんだなっていうのをまさにこないだ体験したというお話でした。
ただ、銀河鉄道999だと「あの人はもう思い出だけど〜」ですが、メケヤマさんとは現在進行形なので思い出ではないというね。
そういう意味ではやっぱりお別れしてないのかも。(まとまらず終わる)