【国語力って、愛の伝達力】どうして人は怒るの?

人が怒る理由は「価値基準」のズレからじゃないかな

みなさまこんにちは!アメリカ行きに向けて、毎日のように準備しているわたくしです。

実はここ最近、じゅんがちょこちょこ怒るんですよ。

理由はと言うと、わたくしが言った言葉が、じゅんの頭の中でまったく別の意味に変換されてしまうから。

もちろん、ケンカしてるわけじゃありません。「えっ、そこそうなるの?」というすれ違い。

言葉の表面だけを見ると、人は怒りやすくなる

先日の買い物のときのこと。

旅に使おうと思っていたリュックがサイズ的にセーフかどうかわからなくて、念のためスーツケースの値段も確認しておこうと思い、他の買い物ついでに値段だけサッと見ておいたんです。

ただそれだけ。

ところが、じゅんの中ではこの行動が「必要のないスーツケースを買おうとしている」「お金をそんなところに使おうとしている」という物語に変換されていたらしく、怒りモードに突入。

わたくしはそんなつもりは一ミリもなかったんですが、じゅんの頭の中では、わたくしの行動がじゅんのルールの外側に飛び出してしまったんですよね。

わたくしとしては軽く混乱しました。

じゅんの正しさは、じゅんが生きてきた世界で育ったルール

じゅんの正しさって、これまでじゅんが経験してきた世界の中で形づくられたものなんですよね。

それは、じゅんにとって安心の場所であり、判断の基準であり、世界の地図そのもの。

そこに何かが外れると、じゅんの中で「危険」や「不安」に変換されてしまう。

つまり、怒りは「自分を守る反応」でもあるんです。

じゅんが悪いわけじゃない。ただ、じゅんの世界がちゃんと筋を通して存在しているだけ。

わたくしは、むしろ過去の正しさを手放す生き方

ここで大事なのは、そもそも大切にしている基準が違うということ。

じゅんはこれまでの経験や自分の感覚をとても大切にして生きている。

それは、それでとても美しいことです。

一方で、わたくしは過去の「正しい」を握りしめず、むしろ手放して生きています。

昨日の判断が今日も正しいとは限らないし、その場の流れや直観、空気感、ひらめき、そういういまここにあるものを大切にしているんです。

だからといって、わたくしは何でもかんでも無条件にアップデートするわけじゃなくて、必要なものだけ自然に選び取って、不要なものはスッと流しているだけなんです。

なので、同じ情報を受け取っても、じゅんとは全然違う判断になる。

怒りの根っこは「世界の地図の違い」

怒るという反応の奥には、大きなズレが潜んでいます。

それは、言い方が悪かったとか、説明が足りなかったとか、そういう問題ではありません。

もっと根本的なところで、二人が大切にしているものの「置き場所」が違う。

じゅんはこれまでのじぶんの世界を大切に。

わたくしはこれからの世界を自然に受け取りながら。

だから、同じ出来事でも、ぜんぜん違う意味として受け取られてしまうことがある。

これってパートナーシップに限らず、家族でも、友人でも、職場でも、どんな関係にも起こるんですよね。

国語力=思考力+愛の伝達力

わたくしは最近つくづく思うんです。

「国語力」って、ただ言葉を読めるとか書けるとかじゃなくて、相手の世界を受け取る力そのものなんじゃないかと。

つまり、国語力=思考力+愛の伝達力。

相手が大切にしている「地図」を感じ取って、その上でコミュニケーションする力。

その力が弱まると、言葉の表面だけを拾って怒りが出てくる。

逆にその力が育つと、相手の世界がふわっと見えてくる。見えなかったとしても「違う世界があるんだな」ってことには気がつける。

怒りって、そこに気がつけないときに生まれるんじゃないかな。

ズレがあっても、関係は壊れない

じゅんとわたくしのズレは、「世界の地図が違う」というだけ。

その違いは、どちらが正しいとか間違ってるとかではなくて、単に、世界の見え方が違うだけ。

むしろその違いがあるからこそ、会話の余白が生まれるし、理解が深まる瞬間もやってくる。

だから今日もわたくしは、じゅんの世界の地図を少しずつ知っていこうと思います。

そしてわたくしの地図も、ゆっくり手渡していこうと思います。おしまい。

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ABOUT US
ほりたみわ/多神和(たみわ)
「多神和」と書いて、たみわ。 一人であり、たくさんであり、かみさまたちの和を映す存在。 イラスト・漫画・張子・熊手・Reboot™・神ノ貌など、“祈り”と“観察”をもとに表現を続ける多層的クリエイター。 かみさまや犬、無機物とも会話しながら、目に見えないものを形にしている。 Reboot™では、自責の迷路から抜け出すナビゲーター。 「かわいさ×ヤバさ×祈り×爆発×余白」の世界観を軸に活動中。