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何か言われるとすぐキレる人
怒りっぽいみなさまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。今日もお怒りでしょうか?
怒ってる人の横で「どうしたもんかな」と祈りつつお茶をすするわたくし多神和です。どうもどうも。
あらやだ、帰らないで。今日は怒りっぽい人向けにお話させてください。
「何か言われるとすぐキレる人」っていますよね。
はい、わたくしの場合はじゅんさんです。別に喧嘩をしたいわけじゃなくても、ひとこと伝えただけでタイミングなのか伝え方なのか両方なんでしょうけど、下手こいて伝えると「もういい!」「しつこい!」が飛んでくる。
怒るのって相手が怒らせてるとか、自分が勝手に怒ってるとかあーだこーだ諸説あるじゃないですか。わたくし「自分が怒ってる」を支持する側。
ムッとするのは本人の勝手。それはそれでしゃーないですけど、そこからどう伝えるか。キレたらアウト。
でもこれ、じゅんさんの問題だけじゃない。
わたくしの愛が、少し足りなかったときに起きている。
怒りは、悲しみのフタ
心理的に見ると、怒りは「悲しみ」や「怖れ」を守るためのフタなんです。
「責められた」「理解されない」と感じた瞬間、人は自分を守ろうとして怒る。
つまり「怒り」は、攻撃ではなく自己防衛のサイン。
でも、愛がある関係の中でそれが起きたなら、それは「愛が足りない瞬間に反応が起きた」とも言える。
「しつこい!」は、愛の受信拒否
わたくしが何かを伝えようとした時、そこに不満やコントロールの匂いが混じっていると、
じゅんさんの心は即座に察知して、バリアを張る。
「しつこい!」という言葉は、「その形の愛は、今の俺には痛い」と言っているのかもしれません。
愛って、伝え方ひとつで圧力にも癒しにもなる。
わたくしの「どうすればわかってもらえるの?」が、相手にとっては「責められてる」に聞こえてたんだなと思うと、ぐうの音も出ません。
キレる人の気質までは、わたくしには変えられない
もちろん、わたくしが気をつけるのは大事です。言い方をやわらかくしたり、タイミングを見たり。
でも、じゅんさんの「キレる」という反応そのものは、わたくしには変えられない部分なんですよね。
人の中には、生まれ持った反応の速さや、心の傷からくる「防衛のクセ」がある。それは、その人が長年使ってきた「心の筋肉」みたいなもの。
だから、「わたくしが完璧にしていれば怒られない」っていうのは、ちょっと違う。
相手の反応をコントロールしようとした瞬間、それもまた支配になってしまうから。
わたくしにできるのは、相手の怒りを「怖れのサイン」として受け取りつつ、自分の心を静かに保つことだけ。
その静けさが、いずれ相手を映す鏡になる。そう信じています。
余白が愛を呼び戻す
怒ってる人のそばでできる、いちばんの愛は「余白」かもしれません。
言葉をやめて、相手の世界に風を通す。
「話す」より「待つ」。
「理解」より「静けさ」。
そのあと、わたくしは何も言わず、そっと家のことをしていました。
アトリエでの作業が一段落して洗い物をしてたら、じゅんさんが近づいてきて、「いってきます」のちゅーをしてくれたんです。
その瞬間、あぁ、言葉よりも余白が愛を伝えるんだって思いました。
言葉で届かない場所に、静けさが届いた。それだけで一日が光り出す。
まとめ
- 怒りは悲しみと怖れのフタ
- 「しつこい!」は愛の受信拒否サイン
- 聞けない人ほど、ほんとは聞いてほしい
- 愛は、押すことではなく、空けること
- 余白が、愛をもう一度流れさせる
怒りの中にも、愛がある。
沈黙の中にも、祈りがある。
そして今日も、わたくしは静かに「いってらっしゃい」と笑うのです。









