真梨幸子『四〇一二号室』/ちぃろの読書感想文

負の感情によってもたらされる、生と死。

嫉妬、羨望、憎悪、殺意…『四○一二号室』には、負の感情がぎっしり詰まっていた。

「人の不幸は蜜の味」とまではいかないが、私もそこそこ人の不幸を覗き見るのは好きだと思う。もちろん楽しめるかどうかは不幸の中身によるが。

『四○一二号室』に詰まった不幸は楽しめた。
いや、不幸は楽しめなかったか…私が楽しんだのは自業自得の末路だ。

ざっくりとしたあらすじ

同時期にデビューした二人の女流小説家。お互いを意識するあまり生まれたのは、数々の負の感情だった。
周囲にまで広がっていく負の感情は、悲劇をもたらす。

安定のざっくり。

真梨幸子は〝イヤミスの女王〟

私が真梨幸子を知ったのは、テレビ番組だった。
〝イヤミスの女王〟と呼ばれていた彼女は、ヤバイくらいの妄想癖の持ち主で、妄想の中で一人の男性との間に10人以上のこどもがいた。出産はすれど、子育てはしていないという。
さらにはマンションの購入もしていた。妄想の中の彼のために。

〝イヤミス〟とは、読んだ後に嫌な気持ちになるミステリー作品のことを指すらしい。

「大好物だ」と直感した。
私は嫌な気持ちにさせてくれる作品が好きなのだ。人間の醜い部分を描いたものや、どうしようもない結末のものが好きなのだ。
映画なら『ミスト』、小説なら『天使の囀り』、2ちゃんまとめなら『ヒトコワ系』…どれもダメな人にはダメなものばかりだが、私は大好きだ。

真梨幸子の作品では、女の醜さがこれでもかという勢いで描かれている。
女の腹の底に渦巻く負の感情をオブラートなしに生々しく禍々しく描き、女の愚かさと弱さを表現しているのだ。

〝いやな女あるある〟なんかでは到底表現できない女の醜い部分こそが女の本質であると言わんばかりの描写に圧倒されつつも、「女ってバカだもんね」と共感してしまう。私も女だから、わかってしまうのだ。

でも、その弱さこそが強さなのだとも思う。

登場人物の無駄遣いをしない

初めて読んだ真梨幸子の作品は『更年期少女(文庫版:みんな邪魔)』だった。ものすごく衝撃を受けたが、ものすごくおもしろかった。
最初から最後まで嫌悪感と嫌な予感がつきまとう作品で、さすが〝イヤミスの女王〟と感心した。
ミステリーとしての構成も見事で、こちらの予想を遥かに上回る結末を見せてくれた。

『四○一二号室』でも、私の予想は追いつかなかった。
ああじゃないか?こうじゃないか?と考えはしたのだが、答えは思いもよらない場所に隠されていて、それかー!!と悔しさと賞賛が入り混じる複雑な気持ちを感じる結果となった。

真梨幸子の作品を二作通して感じたのは、登場人物の無駄遣いをしない人だということだ。全ての登場人物に役割が与えられていて、全ての登場人物が結末を左右する。
「そんなのミステリなら当たり前」と思われるかもしれないが、真梨幸子のすごいところは全ての登場人物を読み手に印象付けることだと思う。

登場人物が増えれば増えるほど、読み手は印象の薄い人物を忘れていく。忘れられてしまえば、もしその人物が重要な役割を担っていても「へ?そんな人いた?」となってしまい、結末よりも「これ誰だっけ?」に気を取られてしまうのだ。

真梨幸子の描く登場人物たちはそれぞれが良くも悪くも印象的で、簡単に忘れることはできない。
だからこそ衝撃的な結末をストレートに感じることができるのだ。

まとめ

『四○一二号室』でますます真梨幸子のファンになった。この人の作品をもっともっと読みたいと思った。

しょーもない女の裏にはしょーもない男が存在していて、クズ男に振り回されるバカ女を眺めているのは楽しい。「うわーないわー」と思いつつも「まあでも、わからんでもない」と頷きながら読むのが楽しいのだ。
女の醜さは、女である私にとってどこか安心できるものなのかもしれない。

女の醜さを堪能したい人には『四○一二号室』はオススメである。
女性を神格化して幻想を抱いているピュアボーイは、読むと女性不信になるかもしれないゾ☆

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