おかしのおかしな話(17)「薄氷(五郎丸屋)」

usugori

おさないおもいで

小さい頃のことを思い出すのは苦手だ。僕はけっこうずっと怯えて育ってきたし、なんとなく、おぼろ気な痛みばかりよみがえってくる。

それでも優しさばかりの記憶というのはあって、とあるお菓子についての思い出もそのひとつだ。

あまいあまいもの

僕は根っからの甘いもの好きで、漫画の名探偵みたいに角砂糖の山だって食べられるくらいだ。

たまに落雁なんて甘いばかりで大差ないという風に言う人がいるが、僕としてはそれは大きな間違いだ。硬さやくちどけ、甘さの具合まで、一つとして同じものはない。「口に入るものは甘いほどよい」と言っても過言ではないほどだ。もちろん過言だが。

うまれたまちのこと

富山の小矢部市というところが僕の地元になるのだが、このあたりはおいしい和菓子屋の多いところだ。昔は加賀藩の一部だったというのも大きいだろう。

その中に小さい頃から連れて行ってもらっていた店がある。五郎丸屋という菓子舗だ。

こおりのおかし

この店の看板と言ってもいいお菓子が、今から話す「薄氷」。たいへんに繊細な菓子である。

これは真ん中がごく薄いせんべいで出来ているのだが、これがどうやら最中の皮よりも薄くできているようだ。それに糖衣を何度も塗り重ねてできているらしい。喩えるならば、ほとんどアイシングでできたアイシングクッキーみたいな感じ。

見た目はすこし象牙色っぽさのあるやわらかな白い板状で、氷の板のような趣だ。いや、というよりも、北陸の冬の朝に薄く積もった雪のようだ。

この地の雪は気温が高いために水分を含み、しっとりとした感触をもっている。その少しぽてっとした雪がにぶい冬の日に照らされているときの表情に、このお菓子はそっくりなのだ。

いまのはなし

そのようにずいぶんと細やかなで、また高級なお菓子なのだが、幼き日の僕には関係ない。目の前にあれば一枚二枚と手を出していただろう。

そういう食べ方をしなくなったのはいつの頃からか。気が付けば、節操なく口に放り込んでも楽しいと思わなくなってしまった。かつては祖母の運転する車に乗せられ、店へついて行ってはねだったものだが、その祖母も認知症でまともに言葉も話せなくなってしまっている。

そんなことを思い出しながら久しぶりに店へ行き、床屋をしている同級生にひと箱もっていってやった。そうするとこいつ、何を思ったかその場で全部ばりばり平らげてしまった。

いくつになっても子供心を忘れないというのも、良し悪しである。

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