朝からそわそわ。
今日こそ八重ちゃんに会える。そんな気配で目が覚めた。
今日は、はるじのお母さま八重ちゃんの81歳のお誕生日のお話を。
(※はるじ=八重ちゃんの息子。わたくしの魂のかたわれ……大切な人です。)
はるじと八重ちゃん、そしてわたくし
八重ちゃんとは富山に来てからずっと一緒に暮らしてた。はるじと3人で暮らしてて、はるじとは「二人で八重ちゃんを看取ろうね」なんて約束してたのに、はるじが先に肉体の衣を脱いだ。
それから先も八重ちゃんと二人で暮らしてた期間もあったし、途中からじゅんさん(はるじのいとこ)との3人暮らしが始まったりして、わたくしが富山で過ごした日数は八重ちゃんと一緒の日々と同じ数だった。
別々の暮らし、それでも続く日々

だけど、じゅんさんとわたくしが結婚してから、八重ちゃんは「あの二人、結婚したのになんでこの家にいるの?」って思うようになったらしく。それがきっかけで一昨年の冬にじゅんさんと引っ越してからは八重ちゃんと別々の生活に。
そこらへんの詳しいお話はまた別の機会に。今日はお誕生日のことお話しさせて。

八重ちゃんと離れて暮らし始めたものの、時々八重ちゃんとご飯を食べに行ったり、お出かけしたり。

一緒にいる頃からいつも、お誕生日はいろんなかたちでお祝いした。
そんな日々の中で、今年の2月に八重ちゃんは脳幹梗塞で入院。夏には介護施設に移って、今はそこで暮らしている。
離れてしまったから、という思いもあったけど、これは八重ちゃんが望んだかたちでもあったし、一緒にいたとしても遅かれ早かれそうなっていた可能性も否定できない。
どうあれ、こうなった中であとは八重ちゃんとの日々をどう過ごしていくか、なだけ。
会える日が、かみさまの御膳立てで

春になるといつも倶利伽羅不動尊の八重桜を見に行っていた。だけど今年は入院していたタイミングだったので「外出は難しい」と言われ、見に行けず。
季節がめぐり、秋の風が吹きはじめた10月の終わり。施設からお知らせが届いた。
「11月1日から、2日前に予約すれば外出も可能になります。」
八重ちゃんの誕生日は11月7日。
7日の天気予報も晴れ。屋根の仕事もちょうどお休み。
これはもう、完全にかみさまの御膳立て!かみさまやるじゃん。
サプライズ面会、そして笑顔の爆発
入院してから携帯を持たなくなった八重ちゃんには、もちろん連絡もできない。
だから当日はサプライズ。
八重ちゃんのお世話になってる施設の職員さんはみなさん元気で明るい。八重ちゃんの表情も病院の時よりずっと柔らかい。
「面会ですよ〜」と連れられて来た八重ちゃんは、わたくしたちを見るなり、目を丸くして言った。
「あんたらちよく来てくれたね〜!!」(あんたたちじゃなく、あんたらちっていうのは富山弁なのかな)
通常の面会は午後からだったから、午前中にお迎えに行った館内は少し静か。でも八重ちゃんが笑うたび、そこだけパッと明かりが灯るようだった。
八重ちゃんは時々会っていたことも忘れていたみたいで、その分だけ毎回、初めてのように喜んでくれる。
なんとも言えない気持ちになるけど、その笑顔を見るたび、そんなことどうでもよくて単純に嬉しくなっちゃう。
そして、「今日は何の日でしょうか〜?」なんて言うつもりだったのに、八重ちゃんの顔見たら思わず「八重ちゃんお誕生日おめでとう〜!!」って会って早々に言っちゃったので、早々にサプライズ終了。
だけどずっと八重ちゃんは喜んでくれてて「ありがとうありがとう」って何度も言ってくれた。
閑乗寺での奇跡のような2時間

外出の時間はわずか2時間。
どこへ行こうか迷ったけど、じゅんさんがスマホを家に忘れるという奇跡によって、勝手に行く場所が決まった。スマホを取りに戻った流れではるじも大好きだった「閑乗寺」へ行くことに。
奇跡の2時間スケジュール
- 9:30 施設出発
- 10:20 閑乗寺到着 → やぎに大興奮!
- 10:40 車椅子で散居村を眺める
- 11:20 しばしのお別れ
閑乗寺に到着して、やぎが見えた瞬間、八重ちゃんはもうじっとしていられなかった。
めぇええ!とやぎも鳴いて、まるで再会を喜んでいるみたい。
シートベルトを外して身を乗り出し、「やぎの耳がかわいい〜!」と大喜び。
その姿はまるで、子どもみたいだった。やぎの耳よりも八重ちゃんの方がかわいい。
そのあとは絶景展望エリアへ。たくさんの黄色い小さい花と、芝生と、散居村。いつもの閑乗寺。
空は澄み渡り、時間がきらきらしていた。
まとめ かみさまはほんとすごい

この日のどの場面も、全部が神だった。お天気も、体調も、タイミングも。
「こうも勝手に整っていくのか」と思うほど完璧だった。
2時間はあっという間。
でもその間中、ずっと世界がきらめいていた。
八重ちゃん、お誕生日おめでとう。
81歳のお誕生日をお祝いさせてくれてありがとう。
偶然のようでいて、すべてが必然。
かみさまはちゃんと、最善のタイミングで道を開いてくれる。

















