本当にそれはタブーなの?愛し上手は受取り上手?
学校を卒業し、社会に出て、それなりにいろんな経験をしてみたものの、これから先どう生きていけばいいのか…。
ぼんやりと今後の人生について考え始める三十路に突入したプロカメラマンのおみそさん(冨田実布)が何を血迷ったのか、これからの人生を歩んでいくためのヒントをほりたみわから聞きたいと思ったことから始まりました、「しあわせ味噌得ラジオ」でございます。
恋愛、人間関係、夢や目標、愛とは何か、しあわせとは…さまざまな悩み等に対して、哲学、宗教、スピリチュアル、どれかのようなどれでもない、どこかしらからの観点からゆるゆるとお話していきます。
なんだかんだリスナーの方々がいらっしゃるだけでなく、なんならお話に参加していただけるというありがたいことになっており感謝。
第2回は「愛するということ」をテーマにお話しました。魂のかたわれであるはるじが肉体の衣を脱いで1年。
これからは特定の誰かと一緒に生きていくことは考えていなかったはずなのに、はるじのいとこのじゅんが隣にいてくれるようになり。いわゆる「不倫」と呼ばれることもある二人の在り方に対しての想いも人それぞれあるようで。そのあたりの詳しい話はまた別の機会に。
愛する、愛される、愛し合う…言葉では分かっていてる気がしていても、そこに内包されるものは人それぞれ。
人の数だけ愛のかたちもさまざま。そんなことはわかっていても語らずにはいられないテーマでもある「愛するということ」についてあーでもないこーでもないとみんなで語りました。
語り散らかした感もありますが(いつものこと)おみそさんがまとめてくれましたのでそこにコメントしつつ振り返りたいと思います。
複数の人を愛するとはどういうことなのか?
おみそが思うに、世間の人が複数の人を愛することについて思い描くイメージはあまり良くなくて、不倫や浮気や二股などを連想する人が多い気がします。
近年は「ポリアモリー(同時に複数人と恋愛関係を築くこと)」という言葉も広まってきたと思いますが、まだまだその存在はマイノリティーなのでしょう。なんにせよ、複数を愛するって世間一般の大体の人にはあまりよろしくないイメージを持たれている気がするんです。
だけどほりたさんの話をちゃんと聞いてみると、その愛する対象には家族や友人もいると分かります。家族への愛、友人への愛、恋人への愛、動物への愛。
おみそにもそういう部分はありますが、確かにどれも同じ愛には変わりないのに何故か多くの人々はそれらを区別したがるんですよね。だけど、そんなこと明確に線引きできますか?家族への愛はこう!友達への愛はこう!恋人はこう!みたいな。
目に見えないものの尺度は人それぞれなのに、何故か「一般的」な解釈があるという大前提で他者をジャッジしたり、ましてや口出しするというのは、改めて考えると不思議です。(割とみんなやりがち)
(ほりたみわからのコメント)
「誰かを愛する」ということが一人の対象に向いているからこそのイメージなんでしょうけど、大切な人を一人愛した時には問答無用でその大切な人からいろんな繋がりが見えてきます。両親、家族、親戚、友人…。
これまであらゆる人との関わりがあって、その大切な人が存在していると考えれば、その大切な人と繋がっている人たちへの想いも自然と湧いてくるというものです。
「友達の友達は皆友達だ」的発想で「愛する人の周りの人も愛する」ということが「誰かを愛する」ということだと考えれば、複数を愛するっていうものいたって普通のこと。
ぜーんぶ、みーんなだいすき!!!
ほりたさんはたたきやすい?
世の中でタブー視されているアレコレに何やら近い存在な気がするほりたさんは、世間の人にとっては生き方や考え方が普通ではないと感じる対象なのではないでしょうか?
別に敢えてそういう生き方になっている訳ではないと思うのですが、人間は霊性を高めていく上で必然的にそうなっていく気がします。往々にして、ほりたさんへの理解が無い人が叩くのですが、それこそ意味が分かりません。せめてほりたさんの思想についてちゃんと自分の頭で考えてから口出しして欲しいものですよね。
(ほりたみわからのコメント)
ほりたさんは叩かれやすいみたいですが、本人叩かれて凹むこともないですし、むしろなぜ叩くのかを直接本人に問うタイプ。いじめ甲斐のないいじめられっ子なのかもしれません。
いわゆる世間で言われている「常識」や「普通」というものに対して疑問視をしながら生きてます。
あらゆることの「これはこう」という枠の中で生きているけれども、それらに対して「本当にそうなの?」と考えてみることは生きていく上でとても重要。
同じ言葉でもそれがどういう意味かというのは人によって違いますし、それがずれていることに気づかないまま同じ意味だろうと思って会話をしていくと後々摩擦が生じます。
なので、あらゆることに対して疑問視するというか、「観察」できるようになると人生の摩擦が減ります。といいますか、自分の人生を自分で歩むためには必要不可欠。でも、それをしないように生きている人が多いのが今…というか昔から変わってないんでしょうね。
おみそさんみたいな考え方をする人が稀な今の世の中。学校教育でこういう考え方というか物事の捉え方を教えてたら世界から戦争は減るんじゃないかと思います。
なんにせよ、おみそさんみたいにほりたみわのことを見てくれるなんてとても頼もしい存在だなあと思いつつ、「あぁ…こりゃほりたみわに洗脳されてるって思われてもしょうがないか」という気持ちになったりもします。
「愛していると伝えること」は一方通行
以前、ほりたさんに「愛を受け取っていることをちゃんと伝えることも大事だよ」と言われて目から鱗でした。
愛していると伝えることは確かに大切だと思いますが、伝えることに夢中で相手が表現してくれている愛に気付くことができなかったことがあります。この言葉のお陰でこれまでよりも他者が表現してくれている愛を感じて、受け取ることができるようになった気がします。
おみそからしたら、ほりたさん自身がタブーみたいなものです。大袈裟に言えば、穢れと清浄を分けていく存在であるとも言えるのではないでしょうか。
実際、ほりたさんと話していると自分の内側が暴かれてしまう気がします。なので、せっかくほりたさんと出会っている人たちは、折々で自身の本質を見つめるためにほりたさんと対話するといいでしょうね。体感としては、ほりたさんが暴くというより、自分についている嘘に自分自身で気づいてしまうという感じです。
(ほりたみわからのコメント)
もともとどこからこの話になったかも忘れちゃってるけど、「愛する」というのは自分が持っているものを愛する人に与えるだけじゃなく、相手から受け取った愛を「私はあなたからの愛をこのように受け取っていますありがとう」と伝えることまでが愛するってことなんじゃないかなと。
意外と忘れがちですよね。受け取ること。そしてそれを伝えること。
愛し上手は受取り上手。
実に大袈裟に言われてますが、自分の存在がタブーだなんて最高の褒め言葉ですね。いろんな人にどんどん近寄っていきたいと思います。(天邪鬼)
次回からはインスタライブ!
聴いてた人はここを読んでなんとなく思い出せても、そうじゃない人が読んだら「???」ってなりそうな気がしないでもないですが、それはそれでいいや。リアルタイムで聴いて聴いて。
とにかく、世間一般で言われている「愛」とはまた違う愛についてもたくさんお話できた気がします。あれも愛、これも愛、たぶん愛、きっと愛!!(愛の水中花)
一言でまとめるなら…愛というものは人間如きが捉えられるものではない
ということでしょうか。これが愛だとかそれは愛じゃないだとか、わたくしどもがいくら論じたところで、そこにあるのはせいぜい愛の一側面でしかないんじゃないかと。語ることすら無駄だったのかもしれませんねうはは!!!
なかなか話足りないテーマではあったので聴き逃した人は次回!と言いたいところですが、次回は全然違うテーマでお送りいたします。「信仰と無知」的なテーマになるかと思います。やだまじめそう。難しそうなテーマではありますが、身近なお話をしていきますので構えずどうぞ!
テーマに関連したご質問や、全然関係のないメッセージでも大歓迎です。何かあればお気軽にTwitterやInstagramのDM等でお送りください。次回の配信でお答えさせていただきます!
次回のしあわせ味噌得ラジオはTwitterのスペースではなく、おそらくInstagramのライブなのでInstagramでほりたみわか冨田実布のアカウントをフォローしておいていただければ配信が聴けるはず。あちこち迷子ですみません。
ただ、今後は不定期ではなく、毎週日曜日の21時からの配信になりますので、なんとなく予定を空けておいていただければ聴き逃すことが少ないかと思われます。