【味噌ラジ】信じる者は救われる?【第3回ダイジェスト】

さて、もう何回やっているのか分からないみそラジですが(公開するつもりで録音したデータが消えちゃったのが数回)、公にはこれで2回目としておきましょう。

今回からインスタライブで生放送します!基本的にはIGTVとして投稿に記録を残せるよう、1時間くらいを目処にお話しします。一旦区切って、15〜30分はオフレコなぶっちゃけ雑談。胡散臭い話もバンバンします。

「信じる者は救われる?」

今回はおみそが何となく観た映画「ホテルムンバイ」が思いの外良かったという話をほりたさんにしたら、お返事で「オーマイゴッド」という映画も良いよとお薦めされたので、お互いに映画を観てきて話そうという会になりました。

SF好きを公言してはおりますが、アクション映画も大好きなおみそには、終始ハラハラする展開(実話ですけど)と不条理なお話で絶望的に良い映画でした。

以下、簡単なあらすじ。2008年、インド各地で実際に起きた「ムンバイ同時多発テロ」を元にした映画。およそ10件もの同時多発的に起きたテロ。その標的の一つであるタージマハル・ホテルが占拠され、宿泊客やホテルスタッフたち500人以上が人質になり、174人が死亡、239人が負傷したという凄惨な事件となってしまった。あらすじ終わり。

機動隊を派遣しようにも、ニューデリーから到着までに2時間はかかるという絶望的な状況下で、ホテルスタッフたちが命をかけてお客様を守る!という感動ストーリーになっていました。

実際にこんな事に巻き込まれたら自分はどうなってしまうだろうか。一人一人の行動から考えましたが、まあこんな状況になったらもう「オーム」って唱えるくらいしか出来る事は無さそうです。

ほりたさんにこの映画の感想を聞くと、「無知の罪ですよね」と一言。

おみそが、テロリストの人たちのこと?と聞きますと、「全ての人ですね。そして真のバクティの大切さ」という回答を頂きました。これはあくまで映画なので、どこまで実話に基づいているかという疑問はありますが、これを起点に今回のみそラジが始まりました。

(ほりたみわからのコメント)
いやあ、このホテルムンバイという映画は登場人物が多くて忙しい映画でした。「自分がこの人の立場だったら…」なんて思いながら観ていたらヤキモキしっぱなし。

とはいえ、それまでの人生がこれからの人生をつくっていくだけなので、それぞれの立場を想像するしたところで、自分がその人だったらそれまでの人生も違ってくるだろうから想像するだけ無意味なんですけどね。思わず想像せずにはいられませんでした。

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「オーマイゴッド〜神への訴状〜」

一方、ほりたさんにオススメされた「オーマイゴッド」はコメディー映画でした。

以下、簡単なあらすじ。インドで生まれながら神を信じない無神論者を自称する男が、神の名の下に詐欺まがいの商売をしている。ある日、彼の店だけが天災により倒壊してしまうが、それでは保険が降りない。ついに男は神様を相手取り、前代未聞の裁判を起こすことにしたのだった。あらすじ終わり。

何年か前、友人宅で観たインド映画ではダンスとキメ顔とクライマックス感のあるシーンが永遠にループして地獄みたいな時間だったので、インド映画に少し抵抗がありました。

ほりたさんから言われてちょっと抵抗があったのですが、「オーマイゴッド」はダンスと歌唱シーンはあるものの、主軸のストーリーがしっかりしているしコメディー具合が絶妙で飽きが来ず、大変面白かったです。

よくあるスピリチュアルな商売を徹底的にdisっていて爽快でした。中でも面白かったのは、店が倒壊してしまった無神論者の男カーンジーが保険屋と話すシーン。

天災には保険が降りないと聞いて、天災とは何だ?と問うと保険屋は「神によるものだ」と答える。天災なら仕方ないという態度に憤慨したカーンジーは、「あらゆるものに神は宿っている?彼も、あの女性も、なら俺にも神が宿っているのか?!」と保険屋をビンタ。

「これは天災。神の行為だ!俺じゃない、神がやった!」さらに警備員の持っていた銃を奪って「神に撃たれてお前が死ねばお前の家族にも天災だと言われるのか?」と極論を持ち出して脅します。

もう爆笑でしたが、こういう極論で反論する人って世の中に結構いますよねえ。まるで一休さんみたいにトンチが上手いカーンジーはさすが詐欺をするだけあります。

そして我らがクリシュナさんの描き方も素敵。「無神論者とは、実験し、考察し、理解して神はいないと論じる人のことだ。無神論者は真の信仰者となる」という言葉に感心しました。それではほりたさん、「無知の罪」、そして「真のバクティ」とは何か、ここら辺の補足お願いしまーす!

(ほりたみわからのコメント)
「神様がいない」ということを証明するためにはあらゆる場面で神が存在するかどうかを確認しては「やっぱりいないですよね」ということをしていくので、そこに神が存在すること(存在しないこと)を確認しているんですよね。一休さん的観点から見ると、究極の信者と無神論者完全に一致するというわけです。

無知の知と真のバクティ(信愛)についてはさらっと補足すると誤解を招きそうなので一言では言えないですが、「自分がわかっていないということをわかる」こと(これが無知の知)によって、あらゆる事柄の8割くらいは解決できそうな気がします。気がします。

何事も「自分がわかっていないこと」をわかっていないから問題と呼ばれる現象が起きてしまうんですよね。とにもかくにも自分を見つめる癖をつければ万事解決。知らんけど。

地獄で閻魔様につつかれる

「ホテルムンバイ」でホテルのフロントスタッフがテロリストに脅されて、各部屋に電話をかけてもう安全だからロビーに出てくるように言わせるシーンがありました。当然、拒否すれば即座に頭を撃ち抜かれます。恐ろしいシーンです。

ほりたさん的には、「どうせ殺されるんだから最初から従わなければいいのに。だって、もしその後あの世で閻魔様に会ったら言われると思うよ。あの時に電話かけたでしょ?って」

…まあ分かる。罪を犯して天国へ行けないくらいなら、潔く死を選ぶ方が後々のために善いのでしょう。でも頭では分かっていてもね、生きることに執着していたら無理ですよね。だから人は後悔するのでしょう。

ほりたさんのように「死ぬべき時に死ぬ」のが自然だと思えるなら、こんな絶望的な状況でも生き延びるために罪を犯さずに済みそうですね。

(ほりたみわからのコメント)
この閻魔様思考は子供の頃に教えられた「罰」という方法によって神を知るということを教えられた例のひとつです。でもこれも悪くないなというか、なかなか無意識下でいろんな想いは発動しているんだなあと感じられる出来事ですよね。

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今世のツケは今世で払う

これはおみそ的にはとても大切な考え方だと思っていて、生きていると「ツケ」というものは生じてしまうものだと思うんですよ。家族だったり、見知らぬ人の恩恵に預かったりだとか。だけどちゃんとそれらのツケは何かしらの形で本人や宇宙に返さないと、異なる形で自分の人生に回ってくると信じています。

私の場合は、そうですね、はるじが亡くなってから何故か福田家の掃除とランデブーの店仕舞いという大掃除をやる流れになりましたから、結構なツケが回っていたのでしょう。

でもお陰様でだいぶ返したのではないかと思われます。(ずっと誰かのお片付けしているほりたさんは果たしてどんな大罪を背負っているのでしょうね……)

(ほりたみわからのコメント)
この「ツケ」なのか何なのかわからないですけど、わたくしの人生において「誰かの家を掃除する」という行為は避けて通れないというか、どこの家でも掃除し続けています。しかもそれは掃除というレベルのものではなく。しかもどんどんステージアップしているような…。

幸い、この行為自体は嫌でもなんでもないですし、むしろ片付くことの喜びみたいなものも感じております。(といいつつ普段の部屋の散らかりようったら)

神社でのお願いの仕方

みんな神社とか好きですよね?私は仕事でどこかに行った際に近くにあったらついでにお参りするくらいには好きです。

昔何かのテレビで、お参りする時は自分の名前と住所とかを言った方がいいという情報をキャッチして、一生懸命に個人情報とお願い事を唱えていた時期もありました。

あれはもう4年ほど前でしょうか。ほりたさんがまだ山梨に住んでいた頃、メケヤマさんと3人で諏訪神社に行った時の事で、当時は寺社仏閣に何の興味も無かったおみそはお参りの仕方を教わりました。

神様にはお願い事をするのではなくて、唱えことばというものを唱えるといいよと。神社とかに行くとよくある「祓い給い清め給え。神ながら守り給い幸い給え」というのを3回唱えればそれでよし、と教わってからはわざわざ長々とお願いすることはなくなりました。お寺なんかだと、マントラがあればそれを唱えています。

そういえば昨年の初めに近所の氏神様へ初詣に行ったら、大混雑で並ぶのも一苦労だとほりたさんにLINEしまして。すると「神様はそんなにケチじゃないから、並ばなくても、遠くからでもいいよ」と言われてとても気持ちが楽になったものでした。

その後、日にちが経って落ち着いた頃に気兼ねなくゆっくり詣でることができました。巷にはお参りの作法とか色々あるけども、本当のところ神様はああしろこうしろなんて言っていないのでしょう。それこそ信心の心「バクティ」が大切なのだと思います。

神様がうるさくないからと言って、パジャマで参拝はアカンみたいなので、皆さま節度を持ってどうぞ。

(ほりたみわからのコメント)
この「パジャマ参拝」がまさにバクティを問われるいい例です。神様に対しての気持ちがどれほどあるのか、本当に神様のこと大好きだったらパジャマでは参拝しないですよね。

とはいえ、着替えることすらできない状態で、それでも神社には行ってお参りしたいって思えばそれでも神様はおゆるしになるでしょうし。

パジャマで参拝することがいいとかダメとかではなくて、どういう経緯でパジャマなのか…によるということです。

あらゆる物事における大切にすべきことってそこじゃないですかね。

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どういう気持ちで行為をするか

今回も色々と濃ゆかったみそラジですが、行き着くところはいつも大体一緒です。

色々と話しましたが、一番大切なのは行為そのものよりも「どういう気持ちで行為をするか」ということ。

どんなに神様を崇め奉っても、気持ちが伴っていなければやっていないのと同じか、やらない方がマシかもしれません。

高価なプレゼントよりも心のこもったお手紙の方が嬉しいこともありますし。目に見えることに囚われず、行為の本質について考えると良いのでしょう。

しあわせ味噌得ラジオ001