奇跡の16日間 後半
癌がわかってからはるじのために通い始めた教習所。送迎バスもあるのにはるじは一緒にいたいってずっと送迎してくれてた。
それまでもいつも一緒だったけど、この頃は心も体もこれまで以上にずっと一緒だった。人生についてもあらためてじっくり考えるようになって、とてもとても充実した日々。
6月11日
黄色いはるじ(黄疸)にも見慣れちゃったというか、ミルクシスルというハーブが黄疸に効くってことで飲んでたので改善されるのをひたすらに待ってた。1週間後に肉体の衣を脱ぐなんて思いもしてなかった…というかはるじの心臓が止まるまでそんなこと思わなかったけど。
寝てるはるじをただひたすらに眺めるもの大好きな時間。
6月12日
癌であることがわかってから、はるじは自分の人生に向き合うようになってどんどんかっこよくなっていった。心が研ぎ澄まされていって、それが表情にもあらわれてくるはるじに毎日メロメロ。本当にかっこいい。大好き。愛してる。一緒にいてくれてありがとう。
6月13日
いつも季節ごとに模様替えをしていたんだけど、春の模様替えははるじの体調のこともあってなかなかできず。でもはるじの筋トレのために買ったドクターエア3DスーパーブレードPROの置き場のためにも少しだけやることに。ついでに窓と押し入れをロールスクリーンに。
ロールスクリーンの取り付けははるじがやってくれる予定だったけど、体力的にきつかったみたいで2本ともわたくしがやることに。
まさか一人で2本できるとは思わなかったけど、これまでのゴリラ食による身体の変化か、筋肉的にも体力的にもやれてはるじとふたりでびっくりした。
はるじのためにどんどん強くなるよ!!ってムキムキしてた。
ふたりで冬にはすんごい身体になろうねってブレードに乗った。ふたりでいっぱい滑ろうねって。
6月14日
模様替えというか片付けが終わり切らなくて少しずつやってく二人。
身長差はあるけど、お互いの服をお互いが着れたりすることもあって、ものによってはどっちのものかすらわからなくなっちゃうものも。この写真ははるじが履いてたパンツ(もともとわたくしのもの)。
そんなふうにほぼ同じカッコでお出かけしてるふたりの姿はなかなか目立つみたいで、こっちから見つけられなくても見つけてもらえるほど。
そんなんだから車椅子のはるじもあちこちで目撃されてたみたい。
ふたりでのお出かけはいつでもどこでも楽しい。はるじの乗った車椅子を押すのも楽しかったよ。こんな経験するって思ってなかったけど。
6月15日
この日は仮免検定。検定終了後「合格したよ!」ってLINEしてからはるじの待つ車に戻ったらはるじが号泣しててびっくり!すごくすごく喜んでくれて泣きながら「良かった~!」って言ってくれた。ずっと祈って見てくれてたらしい。おかげで無事合格。はるじありがとう。
その後、八乙女山に行ってカエルの卵に興奮するふたり。でろでろねちょねちょだった。触ってないけど。
6月16日
ふたりの写真展のための題字「余命無限大」を書くはるじ。これまでの二人の日々の写真展にする予定だったけど、癌宣告を受けてテーマを変更。ここ数日の二人の日々を撮った写真展にすることに。
はるじの余命は無限大。
6月17日
気づけばこの日は写真を撮ってなかった。教習所もだいぶ進んであと少しってところまで来てたけど、この日の夜中はるじはすごくおなか痛くなっちゃって救急車で病院へ。
病院に着いた途端、わたくしも一緒に体調悪化。ベッドで病室に移動するはるじの横で車椅子に乗ってはるじと一緒に移動することに。まさかの仲良しっぷり。
はるじは夜中ずっと傷みがひどくてナースコールで呼びまくり。痛み止めを打ってもらうも痛みは治まらず。翌朝の検査結果でおなかに穴があいてたことが判明。
写真は少しだけ眠ることができた瞬間のはるじ。3時ごろだったかな。
6月18日
病院では痛みを抑えることしかできず。というかそれすらできず。痛みはおさまらないまま。このまま弱って病院で死ぬのを待つくらいなら、痛みに耐えてでもおうちで出来ることをして生きていくって病院から帰ってきた。
おうちに帰ってきて安心したのかだいぶ眠れるように。
最後の最後はふたりきり。「みわ、あいしとるよ」って言ってくれたはるじ。
はるじありがとう。愛してる。
起きていた奇跡
奇跡って気づいてないだけで実は奇跡だったみたいなことを考えると、世界は奇跡で満ちてるっていうか奇跡しかないんだろうから、そういう意味で言うと奇跡なんてものは存在しないのかもしれない。
でもはるじとの日々はやっぱり全部奇跡だったよ。16日間だけじゃなく、2年間まるごと。