日本一心。
2024年3月5日火曜日。朝イチで飛び込んできたニュースは COMPLEX再々結成。
COMPLEXに関してはもう既に各メディアで取り上げられており、1989年の結成までの経緯や活動停止、再結成その後などは改めて書くのもなんなので、ここは下記の記事の続編として書かせてもらいます。
”その直後。吉川晃司とのユニット。COMPLEXを経て再度ソロへ”
”ぶっちゃけ吉川晃司の美学を感じなかったCOMPLEXというユニット”
「2つのコラムとも掲載当時に布袋さんへ愛情の熱量すごい」とか、「布袋さんのルーツがわかる選曲リスト最高です!」とか「吉川さんの初期映画3部作初めて知りました」とか、「吉川さんの1991年からのセットリスト選曲いいですね!」とか、
X(旧Twitter)やInstagram、Facebookページで多くのお便り頂きめちゃめちゃ感謝です。
また「COMPLEXの2枚は、どの辺が納得できなかったのか教えて欲しい」というDMも頂きました。
来るよね。なんとなくだけどそう感じてた。問い合わせくるだろうなぁと。
ぶっちゃけ吉川晃司の美学を感じなかったCOMPLEXというユニットの箇所
「今ではあの時期に本当にこれがやりたかったのかな?とめちゃめちゃ???が付く。」と書きました。
メッセージをくださった方のぶっちゃけの質問はどの辺すか?(最高なんですけど!)ってことだと思うのです。
それを考えるキーワードは「史実と系譜」これに尽きます。この2枚は吉川晃司と布袋寅泰のそれぞれの「史実と系譜の継承者」の良さが出てないんじゃないのかな?と。なので納得いかないんです。
史実と系譜の継承者って言い換えるなら、「試行錯誤して実験。その過程で進化していき、あともう少しで完成。その完成ちょい前感が好きで、ゾクゾクする!」っていう事。
かつそれを伝える人。COMPLEX1作目は「うわなんだこれ、こんなことできんの?」みたいなドキドキ感がなかった。でもそんな2人じゃなかったはずだよね。2枚目は布袋寅泰さん色。
吉川晃司の良さはどこへ?ん?アレ???って。それはこのコラム読んでる人でリアルタイムに聴いてそう感じた人も少なからず居ると思うんです。
これを機に、それまでの吉川晃司に布袋寅泰の関与した作品を聴いてみてください。今聴いても、発見があると思います。
特にそれまでのロック曲に新しい要素を入れて、受け入れられるかどうかのギリギリを攻めたのが、吉川晃司のアラバランバ収録のAnother Dayとか、それこそボウイの1994~label of complexとか、この辺のバランス感覚は今聴いていてゾクゾクする。
それがもうすでに37年も前の曲ってことも驚愕です。
制作過程を推察してみる。
2人が制作する過程を推察すると……
吉川晃司のアルバムに布袋寅泰が参加してたときは、「こういうのしたいんだよね」という主導権が吉川晃司にあり、「ならこんなギター弾くね」って布袋寅泰がプレイする。
ソロ活動停止になったりボウイ解散してGUITARYTHM作って、「2人でやろっか!」ってなった際には、「2人でどういうアルバムにしようか!」から始まり、「最近何好き?」とか「これいいよね」と情報交換したんだと思うんです。
情報交換して演奏してみた結果、2人のそれまでの「実験過程で進化させる」んじゃなくて「その時点で2人が持ってるアイディアを当時の先端テクノロジーで表現してみた」になってるんだよなぁ。と感じるんです。
この差分の違いわかりますか?売れる売れないとか考えなくて新しい試みをアレコレやってみるのではなく、先端テクノロジーありきで作品作ってるところって言えばいいのかなぁ。それってGUITARYTHM のファーストとどう違うのよ。って。
1作目でやりたい事やりきっちゃった。
で、COMPLEX1枚目は完成形を作ろうとしちゃいすぎて、完成しちゃった。
意図せずに完成しちゃった。曲の1曲1曲の完成度はめちゃめちゃ高いですよ。でアルバムもシングルも1位取りました。だから吉川晃司的にはあれ、もうやれることないんじゃない?って。もういいかなってなってたんじゃないかな。
布袋寅泰が、2枚目でこういうのもできるよって出して、吉川晃司も自作のデモ曲を相当出したんだと思うんだけど、本人には納得いかないダメ出しを布袋寅泰からくらっちゃったから飽きちゃった(だそうです)
でも歌うだけなら気持ちいい曲多いから歌うよ!的な。1曲だけが吉川晃司作曲で他全部布袋寅泰作曲。その時点でざっくり言えばボウイの2番煎じ。それが吉川晃司がやりたかったことなのかな?って。
でそれぞれソロへ
お互いやりたいことが違くて、それにお互い気づいた。で、やりたいことやるから活動停止。で、やりたいことやった。
それが吉川晃司の91年以降のソロ活動だし、布袋寅泰のギタリズムシリーズだったりするし。
2枚目のROMANTIC1990がなかったら布袋寅泰のGUITARYTHM2は生まれなかったと思うし、曲で言えばELECTRIC WARRIORSとかもきっと吉川晃司じゃなくて、JESUS JONESのMike Edwardsとじゃなきゃできなかったろうし、Vicious Beat Clashers やその後のGUITARHYTHM シリーズも存在しなかっただろうし。
吉川晃司もPRETTY DOLL があったから、KISSに撃たれて眠りたいとかVENUS~迷い子の未来とか、スピードとか、TOKYO CIRCUSとか、no! starfish from mercuryとか生まれたと思うし。
困ったことに、どれもこれもそうそうこういうのが聴きたかった!(=「試行錯誤して実験。その過程で進化していき、あともう少しで完成。そのちょい前感が好きで、ゾクゾクする!)ってなってしまうので、余計にCOMPLEX1枚目が???ってなるんだよなぁ。
とか言う僕も当時夢中になって聴いてましたし、ライブで言えば代々木第一体育館も19901108東京ドームも僕は生で見てます。邦楽のアーティストで”19901108”以上の感動を得たことは未だにないです。
そうかそういうことなのかと今回コラムを書いて気付いたこと
18歳の頃から聴き続けて感動し続けて、書くために何度も聴いたりライブ映像を見たりします。
そして今回ハッと気づいたのです。
COMPLEXは「スーパースター2人が一緒にやりました」だけではなく、アラフィフ世代には至難を乗り越えるために必要なバンドなのだと。
学生時代に生放送でテレビで見たベルリンの壁崩壊、天安門事件、バブル崩壊、当時同期が新入社員で入社した企業が業績不振、倒産(某証券会社)、地下鉄サリン事件(ちなみに僕はたまたま数分早かったので命拾い)、パソコンが1人1台、高速インターネットの普及による働き方の変化、スマートフォンによるコミュニケーションの変貌。そして東日本大震災。
50歳を過ぎる頃に早期のリストラ。そろそろ子供が独立する世代になりホッと一息し、定年まであと数年と思いきや生成AIなど誰でもできることはAIが行ない、在職している時に感じる職場での存在価値への不安。
24年元旦に起きた能登半島地震。社会人から天変地異や社会環境や、いわゆるITの発達。それまでに学んだことが超スピードで塗り替えられていく。激動に次ぐ激動。この先どう生きていけばいいのか。を多くの同世代は感じていたと思うのです。
そこにはいつもCOMPEXの曲があったり、布袋寅泰だったり吉川晃司だったりの曲を聴くと、いつまでも18歳の頃のドキドキワクワクを続けられる。
1989年の恋愛の歌詞を2024年に歌い上げること。50歳過ぎて持ってなきゃいけない感覚なんだなと。2時間強のステージを全力で走り切れるお二人。そしてそろそろ40年近くトップランナーで居続けることのプレッシャーと今回も全額支援として復興に貢献すること。これはやっぱりかっこいい。
というわけで5月15日のLIVE申し込んでみました。抽選結果は3月15日。もし叶えば1990年11月8日以来の再会。それまでなんとか生きていようと思います。