DJ AKKY の人生は選曲だ!(25)ー日本のロックの基準を塗り替えたミュージシャン ジャンルが『布袋寅泰』

『布袋寅泰』というジャンル

前のデヴィッド・ボウィの回で、こんな前フリしました。

1976年の「ステイション・トゥ・ステイション」「ロウ」「ヒーローズ」「ロジャー」そして1980年「『スケアリー・モンスターズ』までの4年間をリアルタイムで中学生から高校時代に聴けている1962年生まれの日本の背の高ーいギタリストは、後のバンド名やカバーや
デヴィッド・ボウィの1996年武道館のオープニングアクトをされてますね。このギタリストさんのコラムは来月2月に!

1962年生まれの日本を代表する背の高ーいギタリスト。そうです今回は布袋寅泰特集です!(敬称略で進めます!)

アラフィフな読者諸氏には説明不要な日本のロックバンドBOØWYのギター。1982年プロデビュー。

転機は1985年(年表参照)3枚目のアルバム「BOØWY」。

プロデューサーは佐久間正英。布袋寅泰の作りたい音を佐久間正英が具現化したアルバムだと言えると思います。日本のロックシーンはこのアルバムを機に大きく変わっていきます。

佐久間正英は四人囃子やPlasticsなど(この話わかる人60歳に近いだろうなぁ)のメンバーであり、Rolandの名機であるTR-808の開発にも関わっていたとのこと。(わかる人はわかって。いわゆる打ち込み系の元祖的なそれ)

23歳の布袋。模索。

布袋寅泰を知らない人も中にはいるかもしれません。この時期だけで言えば南蛮渡来の様々な文化を持ち込んだ人です。

音楽業界の黒船です。ザビエルか!欧米か!余談ながら雑誌か何かで初めてお姿を拝見したとき、細いわ背は高いわ手足長いわ笑ってないわで正直どこの宇宙から来たのかと思いましたけどね。

それまでの日本の音楽は、ザ・ビートルズならザ・ビートルズの曲、ローリング・ストーンズならローリング・ストーンズの曲、ピンクフロイドならピンクフロイドを演奏し、そのままフォロワーとしてその道を辿るのですが、布袋寅泰が聞いてきた音楽はバラエティに富んでおりました。特に高校生の頃あたりから、ロックあり、テクノあり、ファンクあり、パンクあり、レゲエありと本当に様々。

この1985年から、それまでの日本のロックフォーマットに、特にデヴィッド・ボウィや、70年代ブリティッシュ・ロックのフォーマットや当時のファンクミュージック、プログレッシブ・ロックなどのフォーマットを持ち込み、ソロギターでもない、バッキングギターでも無い、独特の曲スタイルを構築していきます。

1985年より前の時期は佐野元春や大澤誉志幸、サザンオールスターズ、RCサクセションなど多くのアーティストが活躍していました。

しかし、1986年以降ガラッと当時の日本の音楽シーンは変わり。

都会に来なければ聴けないとか、知る人ぞ知るとか、音楽を多く聴いたことがある人しかわからない……ではなくなりました。

そう、布袋寅泰はいわゆる「音楽通が眉潜めてうんうん唸るような曲」ではなく、全国の日本人向けに「世界の音楽って(特にブリティッシュ・ロック)面白いよー。」をわかりやすくフォーマットしました。

そうして「布袋寅泰」というジャンルを作ったのです。

日本のロックシーンに与えた影響は大きく、「俺も私もギターやる!かっこいい!」となり「第2次バンドブーム」となります。布袋寅泰きっかけでギターを始めたアラフィフも多かったのでは?

24歳の布袋。覚醒。

で、戻ると、音楽シーンをガラッと変えた1986年。そしてその前後。この時期にどんだけすごかったか。年表をご覧ください。

表中*では比較しやすいよう同時代のアーティストの有名なアルバムを記載してます。

1986年の1年の仕事量が尋常じゃないですね。曲作りする、リハする、スタジオ入るとかのスケジュールも踏まえても約1年でアルバム3枚作ってるのは尋常じゃないです。(しかもほとんどが売れまくっている)。もはやジャンルが「布袋寅泰」。

年表

ーーー革新的なアルバム(ご本人は参加していません)
1984年

*5月 佐野元春  アルバム VISITORS 発表(ラップ・ヒップホップを導入)
*6月 プリンス  アルバム Purple Rain発表(エレクトロファンク, R&B, ハードロック要素)
*7月 大澤誉志幸 アルバム CONFUSION 発表(ギターにプログレバンドキング・クリムゾンのエイドリアン・ブリュー参加)
*7月 サザンオールスターズ アルバム「人気者で行こう」(シンセサイザー中心。邦楽アルバムで1位)

ーーー模索。他アーティストに参加しながら形を作ろうとしていた時期
1985年

*3月 吉川晃司  アルバム INNOCENT SKY 発表(ギターにCharが参加)
5月 PINK アルバムPINKでギター参加
6月 泉谷しげる タワーズとしてステージで演奏。(同年8月まで)

6月 BOØWY  アルバム BOØWY    発表
*9月 サザンオールスターズ アルバム KAMAKURA 当時のハイテク機器を導入
*9月 吉川晃司 シングル レインダンスが聞こえる ギター参加

11月 山下久美子 アルバム BLONDE ギター参加

ーーー覚醒。ヤバい時期 日本のロックシーンを毎曲変えていく時期
1986年

2月 吉川晃司  アルバム Modern Timeでギター参加(Mis fit キャンドルの瞳、ナーバス・ビーナス。サイケデリックHIPなど)
3月 BOØWY  アルバム JUST A HERO 発表

*5月 大澤誉志幸 シングル盤 クロールで ギター担当
7月 BOØWY  アルバム “GIGS” JUST A HERO TOUR 1986 発表
8月 新宿都有3号地ウォーター・ロック・フェス (現在の都庁の場所です)

10月 山下久美子 アルバム1986 プロデュース
11月 BOØWY  アルバムBEAT EMOTION 発表

1987年

3月 吉川晃司  アルバム A-LA-BA・LA-M-BAでギター参加(雨のトラベラー、Another dayなど)
*4月 BUCK-TICK アルバム「HURRY UP MODE」でメジャーデビュー
7月 山下久美子 アルバム POPプロデュース
9月 BOØWY  アルバム PSYCHOPATH 発表
11月 吉川晃司 アルバム GLAMOROUS JUMPでギター参加。(表題曲を共作、LAYLA、BACK TO ZERO など)
12月 BOØWY 解散ライブ

そして1988年

4月 BOØWY  最終公演 LAST GIGS (東京ドーム2日間)
5月 BOØWY アルバム LAST GIGS発表

6月 山下久美子 アルバム Baby Aloneプロデュース
6月 布袋寅泰 ロンドンへ あの有名なアビー・ロードスタジオでGUITARHYTHM製作開始
*9月 氷室京介  アルバム FLOWERS for ALGERNON 発表

ーーー第1次形成期。生涯のテーマであるプロジェクトGUITARHYTHM始動。
1988年

10月 ソロ第1弾 GUITARHYTHM 発表

26歳の布袋。GUITARHYTHMというプロジェクト開始。

GUITARHYTHM。読めました?ギターとリズムでギタリズム。詳細はこちらにあります。発表当時「声明」として露出していました。

《GUITAR+RHYTHM=GUITARHYTHM》
そろそろ90年代ロックンロールの幕開けというべきロックンロールを提示しなくてはいけない時期が来た。

そもそもロックンロールに国境はなく、イギリス、アメリカ問わず、ビル・ヘイリー(元祖ロックンロール!)、リトル・リチャード、チャック・ベリー、ジーン・ビンセント、エディ・コクラン、ボ・ディドリー、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、ストーンズ~時代は流れてT.REX、ルー・リード、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ~セックス・ピストルズ etc……ジグジグ・スパトニクによる90年代へのアプローチは奇しくも失敗に終わったが、常に刺激を求めるビート・フリークたちの関心は、なまやさしいメロウなロックンロールでは満足できなくなっている。

パンク・ムーヴメントの果たした役割ははかりしれないほど偉大なものだったが、大きく分けてビート派とメロディ派に極端に分かれすぎて、今やシークェンスの反復を利用した、ドナ・サマー(!?)が切り開いたディスコ・ミュージックとほとんど変わらないありさまだ。

ロックという言葉の持つ意味が個人の解釈に委ねられた今、逆にインパクトを持ち、国内のみならず海外にもアピールしうるロックンロールがこれから作っていく《GUITARHYTHM》の基本になっていく。

テーマは【スピード】【リフレイン】【メロディ】【コンピュータ】【パンク】の5つに集約されている。

わかりやすく言うとセックス・ピストルズのギタリストとジグ・ジグ・スパトニックのリズム隊をバックに、エディ・コクランがビートルズの歌を赤いスーツを着て歌うということだ。

6年間連れ添った仲間と別れ、新たなスタートをするにあたって、僕は”完璧”という2文字を頭に描きました。まず、自分に足りない何かを探す……ということから始めたのですが、いつのまにかそれは本当の自分を見つめ直すー僕という存在の内面への旅に姿を変えていたのです。

GUITARHYTHMという作品は、ロックミュージックと出逢った10数年間の分身、もしくは僕そのものといっても過言ではありません。

布袋寅泰

ご自身の音楽ルーツを整理し、見直し、再構築する。そのテーマは【スピード】【リフレイン】【メロディ】【コンピュータ】【パンク】。

めちゃめちゃわかりやすいし、そういう分類っていったん何か大きい区切りがないとできないと思うんですよね。その要素が理論派だし。当時リアルタイムで聴き込んでいました。そして今でも愛聴盤。この盤を未聴の方はぜひ。

その直後。吉川晃司とのユニット。COMPLEXを経て再度ソロへ

1989年5月先行シングル BE MY BABY。街中に流れていました。アラフィフなら歌えるはず。

超体育会系、バンドでデカイ音出そうぜ!の吉川晃司と、超理論派であり、緻密な作品づくり、職人気質の布袋寅泰とは相入れなかったのでしょう。

2枚のオリジナルアルバムを発表。僕は2回ライブを見ました。

国立代々木競技場 第一体育館 6月でのROMANTIC 1990ツアーは、オープニングに当時超最先端だったCG演出でテンションあがりまくり、PROPAGANDAから怒涛の進行。最高のエンターテインメントだったのを覚えています。

ぶつかりながらもツアーを完走しようというなんかこうバチバチな気合というか、反面、あぁ仲悪いんだなー。な印象。

この曲は俺の。この曲は君の。というようなパキッと分けた感じでいわばギクシャク感です。

予感は残念なことに的中し、同年11月8日でドームで2年の活動に停止。

そして東日本大震災の復興ライブでまさかに2011年に活動再開。東京ドーム2日間を満員にしました。結果約6.5億円の義援金としました。

2022年現在は活動休止中。活動休止中もお互いのステージでCOMPLEXの曲を演奏してましたが、現在ではお互い進む道が違うでしょうから再結成の可能性は限りなく少ないと思います。

20歳の僕。「布袋寅泰」を追いかける旅。

ぴあmusic complex 1990年11月7日号「布袋寅泰責任編集」』

僕はギターに関しては、いわゆる入り口が「布袋寅泰」なので、彼が影響を受けた盤は当たり前ですが完全に後追い。

大量に音楽に接する機会が増えた大学生時代にぴあ社の書籍『ぴあmusic complex 1990年11月7日号「布袋寅泰責任編集」』を片手にレコ屋を巡ります。

このアーティストに影響を受けたんだなとかこのサウンドから影響を受けているなぁ。とジワジワわかってきます。

布袋さん好きなんでしょ?これいいよ。君はプリンスも好きなんだよね。ならこれもいいよー。と勧めてくれた当時の六本木WAVEの店員さんやタワーレコード渋谷の店員さんや、新宿アルタ内のCISCOの店員さんに深く感謝。

来店したら、今で言うリコメンド、当時数枚セットでその関連する盤を事前に(何も言ってないのに!)取り置きして頂きました。これ買うよね!的な感じ。

その後に刊行された『布袋寅泰のRadioPleasureBox 』や『布袋寅泰ぴあ(25周年)』にも盤紹介が多く掲載されていますが、この3冊は現在入手しにくいので店頭やネット通販やその他で見かけたら是非入手を。

『布袋寅泰のRadioPleasureBox 』や『布袋寅泰ぴあ(25周年)』 私物です!

30代以降の布袋。ビッグヒット連発。

COMPLEXの活動を1990年11月8日を最後に停止。

その後の1991年のGUITARHYTHM2は2枚組で、やりたいことを全部詰め込みましたって印象。ルーツを探るには2枚目をおすすめ。

1993年GUITARHYTHM3はアルバムタイトルどおりワイルドな革ジャン着るような、後のヒット曲連発するための準備だったかのようなロックンロール。

1994年GUITARHYTHM4は単身ロンドンに渡り全曲のデモをアコースティックギターで制作、メロディアスな曲が多く、かつ歌詞が全曲ご自身が担当、映画を観ているかのようなドラマティックな演出です。

この期間発表されたシングルで言えば、1993年「さらば青春の光」(8位)1994年「サレンダー」(2位)そして、1995年「ポイズン」(2位)「スリル」(1位)と連発します。全部ヒット。当時誰もが知ってるってことです。カラオケでこのあたりを歌う読者の方も多いかもしれません。

ワールドワイドな活躍へ

売れまくった1996年にはデヴィッド・ボウィの「アウトサイド・ツアー」武道館でオープニング・アクト。しかも最終日に共演します。

残念ながらステージでの映像は発見できずですが、その共演する決定したころの対談映像があります。

当時の画質なので荒いですが、その映像がこちらです。

1996年アトランタオリンピックの閉会式や、2021年東京パラリンピックでの開会式など国際的な認知度も得られています。(世界のトップアスリートが認知する機会ってすごい)
 
アトランタオリンピック閉会式

東京パラリンピック開会式

90年代後半は映画のテーマ曲

1998年『SF サムライ・フィクション』、2000年の新・仁義なき戦いのテーマ。これが2003年のQuentin TarantinoのKill Billに採用され、BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY。
 
1998年 『SF サムライ・フィクション』ご本人も出演されてますね 

2003年 キルビルBATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY。

2011年 ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』

2014年 ルパン三世実写版 テーマソング

いかにも!という感じであり、待ってました!という感じでもあり、伝統芸!でもありますね。そういう意味では歌舞伎に近いかな。
曲開始5秒で布袋寅泰!な音作り。

コラボレーションを活動軸に加える

2012年6月 布袋寅泰 GUITAR×SYMPHONY
Tokyo New City Orchestraとの武道館公演。

オープニングはファンなら知っていて当然のあの曲です。布袋寅泰の「映画マニア」を感じさせる1曲

ダイジェストはこちら。

2012年11月 ももいろクローバーZ!

意外なコラボでしたが、ももいろクローバーZが持つロックさというか疾走感というかにシンクロしていて、見るたびに感涙します。

2014年 ローリングストーンズとの共演!!!!

ローリング・ストーンズからのゲストオファー。ご本人が一番びっくりしたそうですが、この日のためだけにロンドンから一時帰国。
(2分4秒からのミックがアイコンタクトして、次はおまえが行け!的なのが胸熱ポイント)
選曲も渋い。まさにご立派!

60歳の布袋。2022年2月。

信じられないのですが、今年布袋寅泰。還暦です。走り続けてますね。そしてドキュメンタリー映画の放映。

『Still Dreamin’ ―布袋寅泰情熱と栄光のギタリズム―』 2022年2月4日(金)〜2週間限定

10000%見に行きます。

布袋寅泰の視点は「売れるための商品づくりと演奏家としての作品づくりと売れ続けるための仕掛け作りの3つ」

売れるサウンド作りのプロデューサー視点と、それを具現化するギタープレイヤー視点。両方を兼ね備えなきゃいけないんだよというのを23歳の頃からしていたのはすごい。

プロデューサー視点とプレイヤー視点。簡単にいうけど、たいていはお互いがお互い衝突する役目ですからね。

ぶっちゃけ売れるもん作れ!って前者と、やりたいことやるんだ!という後者。

この2つはかつてのプリンスもそうでした。1986年1987年ごろの布袋寅泰とプリンスの作品はそういう視点で聴くと(視点で聴くと?)うっすら似てます。

先人の曲の4小節か8小節の選定とその使い方。DJっぽい視点。エフェクター。実験実験実験。プロデューサーとプレイヤー視点。そしてその時代の最先端のコンピューター機器を活用すること。

そして信じがたいのですが、2人とも譜面が読めない&自分が弾いた音楽を譜面に自分で落とすことができないらしいです。(とはいえ僕はメディア向けのネタ提供かと思うのです)

曲の構成は一般的にコード進行だったり、イントロだったり、間奏だったりします。

ですが、布袋寅泰視点は「ここからここまでがかっこいいから、そのフレーズを繰り返して、別の曲として生み出す!」という手法が顕著。

DJとしては非常に共鳴といいますか、布袋寅泰はギター(ピアノもたまに弾きますよね)で演奏しているけど、たぶんギター弾いてるってつもりじゃないんだろうなぁ。サンプリングとループ。思考がミニマムでデジタル的なのを感じます。

もう1つの側面はギターを弾いている人向けに、はい。そうです。エフェクターの嵐。

エフェクターという機材は音をズギューンとワウワウワウと、いわば加工していくのですが、これも先人のミュージシャンのお手本をなぞることからはじめ、理論派な、実験実験の繰り返しならではの導入方法。

こうすればいいんだ。的な方程式。その期間がBOØWYで、ご存知のように四人のバンドなのでやりたい音の世界の構築や具現化する音の広がりを出すにはある意味、そうせざるを得ない状況だったのかもしれません。

パソコンでのグラフィックを制作している人向けには、いわゆるコピー&ペースト&エフェクト。その作業をギターとピアノで行なう。

創作にはオリジナリティだ、パクリだとなんだかんだの論議は尽きないものの、プロダクトデザインをしていたり、有名ブランドのデザイナーとか、とあるブランドの新作が出ましたという際にみなさんがお感じになるアレです。

それは、「新作を見た際になんとなく見たことはあるんだけど、今まで見たことない、だけど自分が欲しいと思うプロダクト」

そう布袋寅泰の視点で生み出される楽曲は、ズバリ……

「新曲を聴いた際になんとなく聴いたことはあるのだけど、今まで聴いたことない、だけどキャッチーなサウンドで歌いたくなるサウンド」

上手いとか下手とかの次元ではなく、ズギューンとワウワウワウと心打つサウンドなのです。

アップルをはじめとして、ポルシェ。グッチ。そして布袋寅泰。「新作を見た際になんとなく見たことはあるのだけど、今まで見たことない、だけど自分が欲しいと思うプロダクト」

これができる人たちは、いわゆる戦略……商品開発、セールス、デジタルマーケティング、アナリティクス、ファンメイキング、マイルストーンとストラテジー(いつなんのために、なにをどうやるか)が全部くっきりと見えている。

「いつどの時期に」や、「お客さんになってくれる層」を自ら設定して、売れる仕組みづくりをしているのです。

売れる土壌を作って、その土壌に居る「確実に買ってくれる層」に向けてポップな曲量産。

購買のファン層を増やして、国内で実績作って、デヴィッド・ボウィのオープニングアクト。海外アーティストとのコラボレーションやって、オリンピックは開会式や閉会式出て、映画サントラを多数やって、コラボは国内はコラボしたい!というアーティストからの依頼がくるようにして。

そのコラボ先のファンへアプローチして、映画サントラを進めて、海外版出して。ローリング・ストーンズに指名されてゲストで出て、デジタルマーケティングSNSも活用されている。

これ偶然じゃなくてかなり計算し尽くしたアクションですよ。

売れるためにはいつ何をしなきゃいけないか。お客さんが欲しいものではなく潜在的に欲しいと思っているものを提供する。

昔からのファンへはドンドン広がる物語を、新しくファンが入ってきやすいようにコラボや映画を。そして物語を作り続けて巻き込み続けて収益をあげていく。

自分を売り込むためのプロデュース能力とか、マーケティングスキル半端ないっす。

Dreamin 夢を見ること。Still Dreamin’ 夢を見続けること。

僕にとっての布袋寅泰は、進みを止めない限り、いつかそれは叶うということを教えてくれたのです。

夢はボンヤリと漠然とギター弾けたらいいなぁとか、シンガーになったらいいなぁとか、はたまたダンサーになりたいなぁと思うだけではなく、情報を入手し、自分なりに真似て、何度も何度もやってみて、その進みを止めない。

17歳の時にベースを手にし、20歳のときにギターを入手。そして練習するけれどなかなかうまくならない。

ファンクを聴いているきっかけからアルトサックスを手にし、練習したけどプロで食ってくにはスキルも足りない。そもそもすぐにお金にならないし、という理由や、日々の生活のためにお金を得なきゃいけない事態がいくつか発生。

まぁそれは人それぞれにあったりしますが……。

それでもDJという形で音楽シーンの末席の末席の隅っこにいられるのは、回り道したり、転んだりして、くじけそうになっても、いつもDreaminを聞いてあきらめずに一歩でも進んだから。

ゆっくりでいい。ちょっとでもいい。いろんなことをやってみるのもいい。ただ音楽をやめるのは最後の最後にしなよと布袋さんが歌い続けてくれたからだと思います。

皆さんのお一人お一人の中に少しでも「叶えたかった自分」がいるなら、今回のセットリスト最後に選曲した「Dreamin」があなたの背中を押して一歩でも前に進むきっかけになってくれますように。武道館のライブは場内の合唱が聴こえてきます。

お約束のセットリスト

前編はベスト的チョイス。後編は布袋寅泰が影響を受けた(であろう)楽曲です。

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