DJ AKKY の人生は選曲だ!(33)誕生月おめでとうございます。ブーツィ・コリンズ特集(2年ぶり!)

誕生月おめでとうございます。ブーツィ・コリンズ特集(2年ぶり!)

ファンクの大先生ブーツィ・コリンズ。2年ぶりのコラムです。

ブーツィ・コリンズ

2年ぶりです。過去記事はこちら。

ベース奏者である僕は敬意を込めて、今回のコラムはブーツィ・コリンズ=大先生と書かせていただきます。

前回の内容から追記ということで言えば、作品に焦点をあてました。

紐解くと、80年代からコラボ作品が多い大先生ですが、決して前に出るわけでなく(というか声も背もベースの音もデカいから前にでちゃうんですが)若い際には一緒にまるで化学反応を楽しむようなコラボで、コラボ相手の良さを引き出す側に回って、進むべき道はこっちだよというガイドというか一緒に作品を作り伴走するメンターというかコーチというか。

コラボしながら作品のクオリティを高めるタイプなんだなと実感です。

2019年にはこんなインタビューがありました。
70歳になる大先生は、後輩の育成をされるのですね。さすがです。

今回は大先生のゲスト参加や、コラボの変遷を追いかけてみます。

そもコラボって何よ

コラボレーション collaboration 合作ですね。一緒に作品を作ります。

あくまでも僕の解釈ですが、プロデュースと違うのはプロデューサーが居て、明確なゴールとか形とか構想があって、この通りに演奏してと周りに依頼するとか指示することで、それで依頼されて参加するとゲスト参加。

に対し、コラボレーションって相手のアイディアをどんどん盛り込んだりこんなのどうよ、いいねー。の繰り返しで作品を作り上げていくことだと思ってます。

お互い良さを引き出すというか、それぞれが演奏だったりスキルだったりが無いと成り立たないし、これはこういうもんだ!とか頑固に意固地になってたり、まぁぶっちゃけ頭カタイ人とは楽しくできないよね!

大先生は見た感じは身長デッカいし手も超デッカい(握手したことあります!)大きさから来る圧が半端ないんですけど、ジョーク大好きで子供超好きで柔軟で繊細なんだろうなぁというのは伝わってきますね。(デッカい人って意外に繊細)

さてコラボで言えば、

60年代はジェームス・ブラウンのバックで弾いてた話は前回しましたが、70年中盤から参加したP-funk軍団もも80年代になり急に勢いを無くします。

シンセサイザーやサンプラーやシーケンサーが出始め、大人数でなくてもグルーヴ作れるんじゃね?的な動きになってきます。

80年には80年にトークボックスでお馴染みのZappの1枚目をプロデュースしたり、同じく80年にはソロアルバム出したり、ジョージ・クリントンは82年にソロアルバム出したりとエレクトリックなファンクをどう作っていくかの模索しながらのプロデュース時期ですね。

その後ブーツィは作品を出すことなく、80年代前半はP-funkフォロワーの(お約束!)プリンスがエレクトリックファンクを打ち出していきます。

ブーツィの転機は僕は坂本龍一だと思うんです。

坂本龍一は1978年にYMO(YELLOW MAGIC ORCHETRA)開始、同年に「1000のナイフ」でソロデビューちょうどブーツィがエレクトリックファンクを模索しはじめた頃より少し先に日本でこんな奴らが居るぞと耳にしたり目にしたはず。

というのはYMOは 1980年にSOUL TRAINに出演してArchie Bell & the DrellsのカバーTighten Up (Japanese Gentlemen Stand Up Please)とFirecrackerの2曲を演奏してます。

YMO Live on Soultrain (1980)

その後坂本龍一は1983年の「戦場のメリークリスマス」出演、英国アカデミー作曲賞を日本初で受賞。その4年後1987年に坂本龍一もエレクトリックファンクを模索していたのか、ハービーハンコックのロックイットをプロデュースしたビル・ラズウェルを迎えアルバムNEO GEOを製作します。

アルバム内でブーツィはゲスト参加します。多分ブーツィは何かを得たのでしょう。1988年のエレクトリックファンクアルバムWhat’s Bootsy Doin’? そう意訳すると”ブーツィったらどうしちゃったの?”というタイトルアルバムを発表します。

僕はこのアルバムから大先生を聴き始めて超かっこいい!と衝撃受けたんですが、それまでのブーツィファンからしたら、え?なにこれ?どうしちゃったの?(よくないよ!)ってアルバムらしい。

たしかに遡って過去作をソロデビューアルバムから聴いていき、この盤はバッキバキのエレクトリック化。音質というか音圧というかが過去作とは全然違います。

日本にファンクを広めた大澤誉志幸ともコラボします

それは1989年4月。大澤(大沢時代の)誉志幸なら絶対に聴かなきゃいけないシリアス・バーバリアン3部作の第1弾。タイトル曲

Serious Barbarian 

  • ~Prologue X~
  • I. Serious Barbarian
  • II. Interlude #B
  • III. God
  • IV. Pleasure Connection (Command is ZERO)
  • ~Epilogue X・Y・Z~

でベースを弾きます。いやもうヤバいっすこの曲。アルバム全体は前回のこちらでも書きました。大人の色気なんだけど、この曲だけはファンクでプログレっぽくあり組曲的な壮大な作りの楽曲。で大先生はベースを弾きます。

今回コラムに書く際に、この曲をじっくり聴き直してみました。ファンクにしてはちょいBPM早めのいわゆるスピード早い曲だけどめっちゃファンク。

あれ?

ひょっとしてと思って曲の速さを遅くすると(あ、はいお忘れかもしれませんが僕はDJなので)、なるほど!とこの曲は、大先生がかつて率いていたBootsy’s Rubber Band名義での超有名曲「I’d Rather Be With You」の後半のオマージュなのでは?と思うほどP-funkの香り(というか匂い)がしてくる。

たぶん大澤さんが作った最初のデモ曲はもうちょっとBPM遅かったんじゃないかなと。

スポンサーリンク
ABOUT US
AkibaRyuji
東京生まれ東京育ち。元水球とラグビーの選手。原宿クロコダイルや本牧ゴールデンカップなど老舗ライブハウスやミュージックバーなどでDJ展開中。得意なジャンルはSoul Music やDiscoMusic。SoulBarをつくるのが夢。