大阪土産「岩おこし」
今日のお菓子はこれ。たまたま入った大阪のデパートでめぐりあった、岩おこしである。小さくなって大袋に入ったものも売っていたのだが、やはり、かまぼこ板ほどの大きさのものが整然と並んだのがかっこいい。お土産って感じがする。お菓子というのは、大概、大きい方がいい。
ちょっと生姜の効いているところが全体にまとまりをもたせているようで、輪郭のある飽きのこない味だ。そして、ぎゅっと締まった硬いおこしを味わうのは目方以上の満足感がある。最近は乾パンなんかも軟弱になってきてしまいましたからねえなんてひとりごちつつ、すっかり食べてしまった。
幻のお菓子
ところで、僕にとって岩おこしというのは、長らく想像上の食べ物であった。いや、もちろんそれが実在するということはわかっていたのだけれど、長らく実物を前にすることができなかったお菓子なのである。
僕が最初に岩おこしを知るようになったのは、人気漫画「落第忍者乱太郎」によるものだ。
どういう話のながれだったかは定かでないが、作中で、岩石を動かすことが必要になるシーンがあった。そこで劇中の人物が取り出したのが「岩おこし」だったのだ。ただそれだけの下りではあったのだが、この「岩おこし」なる謎の存在は幼い僕の記憶にしっかりと刻まれてしまった。
けれども、その頃はまだスマホどころかインターネット通販もほとんど普及していない頃である。富山のはしっこに暮らす菊池少年が遠き地の菓子を食すには、なんとかして現地で買ってきてもらうしか無かった。
結果として、実際に岩おこしそのものを目の当たりにしたのは、それから何年も経ちすっかり大きくなった菊池青年ということになってしまった。
そんなわけで、三十路をむかえた今となっても、僕にとってこの岩おこしというのはなんだかファンタジーめいた、心躍る雰囲気をもったお菓子なわけである。
おこし曼荼羅
そう言えば、この岩おこしという食べ物にはひとつ、かなり不思議なことがある。
このお菓子には中心性が無い。
一体何を言っているんだと思われるかも知れないが、考えてもみてほしい。この岩おこしは、どうやってこの形になったのだろう?
恐らくは巨大な板状からこのサイズにまで切り分けられたのだろうと思われるが、では、どうしてここで切断されたのか?
どこを見ても同じような模様の板なんだから、別にここで切らなくても、更にはこの大きさで切らなくてもよかった筈なのに。
次は、切られたこの一枚を見てみる。そして一度裏返してみる。さらにじっくり観察し、何度か向きを変えている内に、どこが表でどこが裏なのかわからなくなる。
それどころではない、どこが上でどこが下なのか、左右はどうなっていたか、まるで判別がつかないのだ。
これはかなり珍しいことである。クッキーやビスケットだって大抵は模様がついているし、カステラだって焼き目がついている。ここまで中心を喪失したお菓子というのは非常に稀であろう。
岩おこしを食べるとき、考えてみてほしい。元来この物体の中心とはどこなのかと。
それは目の前なのかも知れないし、あるいは人類の到達し得ない遥か彼方であってもいいだろう。
広大無辺。宇宙――。
そうか、岩おこしというのは宇宙のありようの模型なのであり、さながらお菓子によって表現された曼荼羅なのである。