なんてことない朝の、なんてことない会話だったはずなのに

「暑いの、今日までらしいよ」
じゅんがそう言った朝のこと。わたくしは「うん。暑さ寒さも彼岸まで、ですものね、よかったね」と返した。
軽い挨拶のような、気持ちのいい相槌のつもりだった。暑い中日々屋根のお仕事は本当に大変だもの。
でもそのあと、ふたりのあいだの空気が、するりと変わった。
「春と秋のお彼岸って、気温10度以上も違うんだよ」
そう言うじゅんに、わたくしは「うんうん、前が夏と冬ですから、それは自然ですよね」と返した。
ただ、それだけだったのに。
なんだか不穏な空気になって会話は終わってしまった。
じゅんは、あまりうれしくないテンションのまま出かけてしまった。
あとからわかったけど、じゅんはお彼岸は春も秋もだいたい同じ気温だと思っていた様子。
ただ、話がしたかっただけなのです

わたくしは正しさを競いたかったわけじゃない。言い負かしたかったわけでも、なにかを証明したかったわけでもなくて。
ただ、じゅんと話がしたかっただけだった。
「そうなんや〜」とか「へぇ〜」とか、ふたりで言葉をやりとりする、あの感じが好きだっただけなのに。
今回はたまたま、わたくしが思っていたことを返しただけで、でもその返答が、何かを押してしまったみたいだった。
あとから静かに、さみしさがきた。
わたくしは、ちゃんと伝えました

あとからLINEでわたくしはていねいに気持ちを伝えた。
あの時どんな気持ちだったのか、どうして悲しくなったのか、これからも、ふたりで気持ちよく話したいと願っていること。
それに対して返ってきたのは、「ごめんなさい」のひとことだけだった。
もちろん、悪いことではない。でも、そこにじゅんの気持ちは見えなかった。
わたくしが本当に欲しかったのは、「どうしてそう思ったのか」「なにが引っかかったのか」、そのあたりのことを、じゅんの言葉で聞きたかったの。
遮ることって、そんなに悪いこと?

じゅんは「話を遮られるのが苦手」と言っていた。
たしかに、それはわかる。話の途中で言葉を挟まれるのって、人によってはイヤかもしれない。
でも、わたくしの中では、それは「遮る」つもりではなくて、「返したい」という気持ちの表れだった。
たとえば、「それ、わたくしも思ってた!」とか「うんうん、それおもしろい〜」とか。
会話の途中でぽろっと出る、そんな反応があるからこそ、ふたりの会話はリズムになるし、ふくらんでいくと思っている。
だからもし、「最後まで聞いてほしい」って思うときがあれば、先にそう言ってくれたら、ちゃんと聞く準備ができる。
Rebootして、気づけたこと
わたくしはRebootというワークを通して、自分の中の「こうあるべき」や「当たり前」に気づき、少しずつ、手放せるようになってきた。
さみしさや、怒りや、しょんぼりするような気持ちも、その都度Rebootして向き合っていけば、長くは引きずらなくなった。
それは、本当に大きな変化。
でも同時に気づいたこともある。
わたくしがいくら整えても、ふたりの関係は、ひとりじゃ変えられない。
じゅんの反応が変わらなければ、わたくしがどれだけやさしくしても、気をつけても、また、同じところでぶつかってしまう。
あはは!って笑ってみたいだけなんです
Rebootしたら、気づけたことはたくさんあった。
「これはじゅんの反応のパターンだったんだ」って、冷静に見られるようになったことには感謝している。
だけど。
そんなことでムッとしないでよ!あはは!
って、言いたくなる気持ちが湧いてくることも、やっぱりあるわけで。
もちろん、わたくしがうまく笑い飛ばせないところがあるのかもしれないし、もっとやさしく流せたらいいのかもしれない。
でも、言葉を返しただけで毎回のようにムッとされていたら、そりゃあ、誰だって疲れるし、ちょっとだけ「すき」って気持ちも減りそうになるのです。
わたくしは、キャッチボールがしたいだけなのです

ふたりの会話が、まるでキャッチボールみたいだったらいいのにな、って思っている。
ぽーんって投げて、「それそれ〜」って返ってきて、「ほんとだね〜」って笑えるような、そんな会話。
ただ、ふたりでことばを往復させることが、とってもたいせつで、とってもうれしいのです。
多神和だもの
上手に笑い飛ばせる日もあるし、ぜんぜん笑えない日もある。
でも、そんなふうにぶつかりながら、わたくしはわたくしで、また言葉を投げてみる。
だってそれが、わたくしという人間の、いちばんの「話し方」だから。