「気のせい」は気のせいじゃなかった!?
無敵の鍼灸師いんちょーさんが富山に来てくれた時に「氣」についての貴重なお話を伺うことができました!
わたくしほりたみわ…スピリチュアルババアがヒーラーやリーダーとして感じている「氣」と、スノボと山岳ガイドを極めかけのネイチャーマン!山男マスターはるじの感じている「氣」と、無敵の鍼灸師いんちょーさんの感じている「氣」について語り合いました。
三者三様のようででもやっぱり同じなのかも…それでは対談スタートです!
というわけで気になる「氣」について
「お!?…あぁ、気のせいか」っていうような些細なものだったりするんですけど、みんながドラゴンボールなんかで「みんなの気を送る」とかそういうのあるじゃないですか。あれも「氣」なんですよね。
そこに対して無頓着な人、それを悪く言うわけではないんですけど「氣」というものを感じることができるかどうかっていうのがその人の「気遣い」になるんですよね。
自然体というもの
東洋医学でもいろんな「氣」があって。「源気」っていう源の気なんですけどそれから「元気」になったんです。あと、「天の気」「地の気」そういったものがあって、これらが陰陽五行とかになってくるんですけどね。
なんていうか…「氣」というものは存在するんですよね。物質っていうのは本来「氣」でできてるんです。それぞれの「氣」が重なって物質が構成されてる。同様に人間の身体も「氣」によってできてるわけで、その中に五臓六腑「肺」の気、「心」の気っていうのがあってそれぞれ当てはめた上で「小宇宙」「陰陽五行」を考えているんです。
だからそれはものすごく公平に物事を考えて、フラットな目で見ているわけなんですよね。そのフラットな目線で感じれなくなったら科学的な考え方で「疲れが出てるんや」っていう話になっていくんでしょうけど。
「気のせい」は「氣」のせい
世の中の「森羅万象」っていうのは「氣」の中で集まったものであって、「気のせい」っていうのは何もなかったというふうに捉えてるのは考え直したほうがいいんじゃないかなと。
二人はどうやって腑に落ちたの?最初から落ちてたの?開幕から?物心ついたときからそういう「氣」というものに対して。
「氣」についていつから腑に落ちたか
いんちょーさんはどこで信じるようになったの?
たとえば野菜の性質。きゅうりっていうのは身体を冷やすためのもん。そういうもんなんやって思ったらきゅうりを食べたらちゃんとふわあって冷え出して、冷房きいた空間できゅうり食べたら風邪引くわゾクゾクゾク…ってなりだしたんですよね。
で、結局人は意識…「右にならえ」っていうのはあると思うんですよね。それと同じで「氣の流れ」…「その気になる」とか言うじゃないですか。で、俺は「きゅうりは身体を冷やす食べ物や」と思って食べるようになったら体温下がるのわかるようになったし、春菊みたいに苦いものを冬に食べて春に向けて身体を整えていく、というのを頭の中で理解したらすごく感じるようになりましたね。
だから食べログなんかにしても、人気の店が美味しいとかいうのも、人は舌で味わってるんじゃなくて、脳で味わってるんですよね。これが人間の精神活動の極致っていうんかな。自分でそうだと思ったらそうなる。
でもほんときゅうり冷えたやつパリッて食べて、うう寒い!ってなった時に「俺はきゅうりに洗脳されたんやな」って。
「氣」になるつづきはまたあとで!
気のせいは気のせいじゃなかった!いや、「氣」のせいだったんです。自然体でいることで気をキャッチしやすくなるし、気にしていれば感じやすくなる。鍼灸師的観点の「氣」のお話、とても興味深いです。
突然ぶった切りましたがこの対談、まだ続きます。気長にお待ちくださいね。