もう一人の大仁田厚…太仁田ブ厚が願った夢を叶えたお話

「願った夢は必ず叶う」という大仁田厚さんの言葉を体現した太仁田ブ厚さん。
みなさま。太仁田ブ厚(ふとにたぶあつし)というプロレスラーをご存知ですか?大仁田厚じゃないです。太仁田ブ厚です。
人生に悩んでいた時、テレビに映っていた大仁田厚に憧れて始めたプロレス。憧れの気持ちから「太仁田ブ厚」というプロレスラーが誕生。そしてそのブ厚さんがまさかの大仁田厚引退試合に出ることに!
こつこつと積み上げてきた日々とたくさんの偶然が絶妙に重なって出来上がった「シンデレラストーリー」を太仁田ブ厚さんに聞きました!
太仁田ブ厚のはじまり

そもそもSWSっていう学生プロレスっていうものがあって、そこからなんですよ。三多摩地区…京王の聖蹟桜ヶ丘とか八王子とかその辺にある大学、帝京大学、中央大学、明星大学あたりの学生が集まった学生プロレスっていうのがあって、そこに入門したんです。
で、その時から大仁田さんが好きで「太仁田ブ厚(ふとにたぶあつし)」というレスラーでやっていたんだけれども、実はサブキャラなんですよ。
ーえぇえええ!そうだったんですね!まさかのサブキャラが!
そうなんです。メインキャラじゃないんです。メインは他にやりたい技をやれるオリジナルのレスラーがいて、その時は125キロあったけどトップロープから飛ぶような技とかやっていたんです。(ブッチャーTがメインキャラ)
…が、やっぱり大仁田さんが好きだっという思いがあるから、学生プロレスを引退して社会人プロレスとかアマチュアプロレスとかに行ったときは太仁田ブ厚としてやっていったわけです。
大仁田厚との出会い
そもそもが2000年前後かな…。当時高校生だったんで、学校のこととかなんだで悩みに悩み、もう死のうと思っていた時期に、偶然深夜のプロレスの番組を観たわけです。正直当時はプロレス好きでもなんでもなかったんです。テレビをつけたら偶然やってて、そこに大仁田さんが映っていたんです。
ーうわあ、すごい…運命はそこから。
そうなんです。で、観てたら「何なんだ!?この人は…」ってなったんです。プロレスの試合なのに局アナをビンタしてるし、好き勝手に暴れてるし。こういう生き方出来る人もいるんだ…うらやましいなと思って、何週か続けて観るようになったんですよ。
そしたら大観衆の東京ドームでみんなから物投げられて大ブーイングの中で、お客さんから投げつけられた飲み物をそのまま頭からかぶってど真ん中でタバコをふかしている大仁田さんの姿を観て、「あぁ、俺もこういう生き方したい」って。
ー大仁田さん、揺るがなくてかっこいいですね~!!
ねー。それが大仁田さんリスペクトのきっかけだったんです。その後入ったら大学がたまたまプロレスやってる大学だったから、プロレスはじめたんです。
でも社会人になってからはプロレスからは全く離れていたんですけど、5~6年前だったかな。当時の後輩から電話がかかってきて「太仁田さん今夜暇っすか?」って。「…暇だけど?」って答えたら、「新木場のファーストリング来てもらえないですかね?太仁田でマイクだけやってほしいんですよ」って話に。
「偶然空いてたしいいよ」って行ったのが復帰のきっかけ。で、なんだかんだでプロレス復帰して。
ーひぇえ!偶然が重なって太仁田ブ厚は誕生、そして復帰したんですね~!
爆破風のはじまり

ちょこちょこやり始めてた時に…その時から爆破風はやってたんですが、観客参加型っていうのはまだやってなくて、当時はセコンドにクラッカーを持たせて、レスラーがロープに触れたらクラッカー鳴らして…っていうのをやってたんです。
で、ある日、福島県いわき市にある「いわきレスリングプロジェクト」からオファーを頂いて、行ったわけですよ。そしたらそこにリングを貸してた人がプロレスリングDEWAの社長さんだったんですけど、偶然この人が大仁田信者なんですよ。
その社長さんが俺の試合を見て「これだ!」って思ったらしくて。そこから「爆破風」がすごい動きだすんです。
ーえぇえ!!なにその偶然!!!
DEWAさんは東北でFMW(大仁田さんの団体)が興行を打つときにリングを貸してる団体でもあって、そういうつながりで太仁田ブ厚の入場時にも大仁田さんと同じ入場曲とギミックで入場して試合させてもらえるっていう…。そんな機会があってちょこちょこ東北に行っていたんです。
大仁田さんに告白!
で、去年の夏頃に後楽園の闘道館で大仁田さんとのツーショット撮影会とトークショーがあったんです。そこに行ったときにちょうどロックさん(プロレスリングDEWAのLOCK.鈴木さん)たちも来ていて、「太将(太仁田ブ厚さんのこと)、そろそろ大仁田さんに太仁田でやってますって言いなよ~」って言われたんですけど、言えるわけないじゃん!