無敵の鍼灸師と山男とスピリチュアルババアが「氣」について語る(1)

「気のせい」は気のせいじゃなかった!?

氣について語る

無敵の鍼灸師いんちょーさんが富山に来てくれた時に「氣」についての貴重なお話を伺うことができました!

わたくしほりたみわ…スピリチュアルババアがヒーラーやリーダーとして感じている「氣」と、スノボと山岳ガイドを極めかけのネイチャーマン!山男マスターはるじの感じている「氣」と、無敵の鍼灸師いんちょーさんの感じている「氣」について語り合いました。

三者三様のようででもやっぱり同じなのかも…それでは対談スタートです!

というわけで気になる「氣」について

氣について語るいんちょーさん
ほりたみわ
みんな気になる「氣」の話です~。鍼灸師の人ってやっぱり「氣」を観るんだよね?でも一般的に「氣」ってわかるようなわからないようなじゃん。
いんちょーさん
「氣」っていうものの定義がみんなわかってるようでわかってない、信じてるようで信じてないっていうところがあるんですよね。
ほりたみわ
うん、そう。
いんちょーさん
じゃあそもそも「氣」ってなんですか?

「お!?…あぁ、気のせいか」っていうような些細なものだったりするんですけど、みんながドラゴンボールなんかで「みんなの気を送る」とかそういうのあるじゃないですか。あれも「氣」なんですよね。

ほりたみわ
うんうん。
いんちょーさん
科学的に言うたら「氣」というのは原子というものになるんでしょうけど、「あ、気のせいか」って思ったのはそこにたしかに自分は何かの「氣」を感じたからであって。
そこに対して無頓着な人、それを悪く言うわけではないんですけど「氣」というものを感じることができるかどうかっていうのがその人の「気遣い」になるんですよね。

自然体というもの

いんちょーさん
「氣」をちゃんと受け入れる心構えっていうか、「自然体」でおれるかどうかっていうのが大切なんですよね。
ほりたみわ
自然体!そう!
いんちょーさん
それが一番大事。ニュートラルな状態でおったら「氣」ってちゃんとわかってるんですよ。それを受け入れたくない自分とか…「わがまま」なんですよね。

東洋医学でもいろんな「氣」があって。「源気」っていう源の気なんですけどそれから「元気」になったんです。あと、「天の気」「地の気」そういったものがあって、これらが陰陽五行とかになってくるんですけどね。

なんていうか…「氣」というものは存在するんですよね。物質っていうのは本来「氣」でできてるんです。それぞれの「氣」が重なって物質が構成されてる。同様に人間の身体も「氣」によってできてるわけで、その中に五臓六腑「肺」の気、「心」の気っていうのがあってそれぞれ当てはめた上で「小宇宙」「陰陽五行」を考えているんです。

だからそれはものすごく公平に物事を考えて、フラットな目で見ているわけなんですよね。そのフラットな目線で感じれなくなったら科学的な考え方で「疲れが出てるんや」っていう話になっていくんでしょうけど。

ほりたみわ
うん。

「気のせい」は「氣」のせい

いんちょーさん
でもそんなんじゃないんですよ。だってお猿さんからどうやって人間が生まれたんかって言うたら、そういうのも全部「氣」の流れや思うんですよ。気の流れの中の変化で「○!※□◇#△!」って言ったときに「こいつ怒ってるわ」ってなって。そういう中で言葉、言語っていうのが発生していって。

世の中の「森羅万象」っていうのは「氣」の中で集まったものであって、「気のせい」っていうのは何もなかったというふうに捉えてるのは考え直したほうがいいんじゃないかなと。

ほりたみわ
うんうん!うんうん!(激しく賛同)
いんちょーさん
エクトプラズムとか、そういうんも全部確かなる「氣」ていう存在があったからであって、単純にそれを感じられるか感じられないか、人の感じ方次第ですよね。
はるじ
気のせいって思った時点で「氣」は発生しとるからね。
いんちょーさん
そう、確かにそこに何かあったから自分が気づく、「氣」についたわけですよ。だから変に科学的な根拠とかを言い出したせいでそういうのを曖昧にしているところがあるんですよね。
はるじ
でも実際にあるからな。
ほりたみわ
こないだの八尾山みたいなの…
はるじ
…もあるし、人と人の間でもやっぱりあるし。
ほりたみわ
んーでもそういうのがイマイチ信じられない派。そういうのやっておきながら。
はるじ
あー自分がね。めんどくせえやつだ。
ほりたみわ
そそそ。だから自分がふみふみしてるのだってはるじがやれてるって言ってくれて、あぁやれてるんだ…って思ったけど、それでもなんかまだ半信半疑。てきとーに言ってんじゃないの!?みたいな。
いんちょーさん
あーーーー…
はるじ
ふふふふふ。でもまあ、捉え方やね。捉え方いうか、それで納得できるかできんかやね自分が。
ほりたみわ
というかさ、そういうのって女の人のほうが理解しやすいみたいなところあるじゃん。スピリチュアル的なことって。でも今ここって男2が腑に落ちてて、女1がなんか納得できないみたいなことになってるけど、なんだろこれ。

二人はどうやって腑に落ちたの?最初から落ちてたの?開幕から?物心ついたときからそういう「氣」というものに対して。

「氣」についていつから腑に落ちたか

氣について語るいんちょーさん
いんちょーさん
腑に落ちた…んー、たとえばおばけを信じるか信じられないかみたいなところだとすると、僕は信じてなかったですね。
ほりたみわ
おー!!
はるじ
俺は信じるとか信じないとかじゃなくて、実際見とったから。普通に存在しとったから。
ほりたみわ
そう!その話。はるじから「団体さんが来た」っていうのを聞く前にわたくしには団体さんが観えてて、というかはるじが観てたものを観たんだろうけど、それでも自分が観えてるものが信じられないというか。

いんちょーさんはどこで信じるようになったの?

いんちょーさん
んー、そういうのを信じるようになったというか感じるようになったのは高校卒業して鍼灸の大学に進んだ時…はまだ信じなかったですね。2年目になって、今の師匠に出会って東洋医学のことを勉強した時でしたね。

たとえば野菜の性質。きゅうりっていうのは身体を冷やすためのもん。そういうもんなんやって思ったらきゅうりを食べたらちゃんとふわあって冷え出して、冷房きいた空間できゅうり食べたら風邪引くわゾクゾクゾク…ってなりだしたんですよね。

で、結局人は意識…「右にならえ」っていうのはあると思うんですよね。それと同じで「氣の流れ」…「その気になる」とか言うじゃないですか。で、俺は「きゅうりは身体を冷やす食べ物や」と思って食べるようになったら体温下がるのわかるようになったし、春菊みたいに苦いものを冬に食べて春に向けて身体を整えていく、というのを頭の中で理解したらすごく感じるようになりましたね。

だから食べログなんかにしても、人気の店が美味しいとかいうのも、人は舌で味わってるんじゃなくて、脳で味わってるんですよね。これが人間の精神活動の極致っていうんかな。自分でそうだと思ったらそうなる。

でもほんときゅうり冷えたやつパリッて食べて、うう寒い!ってなった時に「俺はきゅうりに洗脳されたんやな」って。

ほりたみわ
うわあなるほど。
いんちょーさん
だから「信じるものは救われる」じゃないけど、信じたらなんぼでもそっちに引き寄せられるっていうね。
はるじ
それを感じてない人が夏の暑い日にきゅうりを食べても何も感じんと思うけど、俺もそう思って夏はきゅうりバリバリ食べるし、やっぱりその季節の野菜とか、自然と人間がそこでうまいことバランス取れてたら健康でいられるし。

「氣」になるつづきはまたあとで!

気のせいは気のせいじゃなかった!いや、「氣」のせいだったんです。自然体でいることで気をキャッチしやすくなるし、気にしていれば感じやすくなる。鍼灸師的観点の「氣」のお話、とても興味深いです。

突然ぶった切りましたがこの対談、まだ続きます。気長にお待ちくださいね。