〜“自分”を生きるために、思考の棚卸しをしてみる〜
思考の中に住んでいる“昔の私”
たとえば、朝起きて「今日もちゃんとしなきゃ」って思うとき。
それって今の自分が思ってること?
それとも、何年も前の、まだ誰かに評価されないと不安だった頃の自分の声?
思考って、すごく便利だけど、更新しないまま使い続けてるアプリみたいなものかもしれない。
バグってるのに気づかず、そのまま動かしてる、みたいな。
思考って「選べる」ものだったんだ

わたくしたちはよく「自分の考えだから仕方ない」って思っちゃうけど、よくよく見ていくと、それって自分で選んでるようで、実は選んでないことが多い。
「ちゃんと働かなきゃ」
「人に迷惑をかけちゃいけない」
「ちゃんと幸せじゃなきゃいけない」
誰に言われたわけでもないのに、ずっとぎゅっと握りしめてる“前提”のような言葉たち。
それって、いつから持ってたんだっけ?
一度、手放してみてもいいのかもしれない
思考を変える、じゃなくて、一度、ふわっとほどいてみる。
ゼロに戻す感じ。
そうすると、「あれ、なくても大丈夫だったな」って思える思考もあるし、「これは今の自分に本当に必要だな」って再確認できる思考もある。
その“棚卸し”ができると、自分の中にスペースが生まれてくる。
思考の“反応”から、意図的な“選択”へ

反射的に動いてしまう考え方って、自分を守るためだったり、愛されるためだったり、ちゃんと理由がある。
でも、その思考がもう役目を終えたなら、「ありがとう」って言って、そっと手放してもいいのかもしれない。
思考の“反応”じゃなくて、意図的な“選択”ができるようになると、生き方そのものが、ぐっと軽くなる。
本質って、たぶん “静かで確かな自分”

他人の期待や社会の価値観を通してじゃなく、“ほんとうの自分”のまなざしで世界を見られたら、毎日は、もうちょっとやさしくなる気がする。
「今、自分はどう在りたい?」その問いに、誰かの正解じゃなく、自分の言葉でこたえられるようになるまで。
わたくしたちはただ、少しずつ、ほどいていけばいい。