枯れた花の蕾を切ったその瞬間、人間の背骨のように見えた。えも言われぬ哀愁を漂わせ、その生き様さえも浮かび上がるような。気付けば無我夢中でシャッターを切っていた……。
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キッカケは、花をモデルにした友人フォトグラファー達との撮影会。自分の技術が圧倒的に足りない事に気付かされてハッとした私は、それからたった一人で花を撮り続ける事にした。撮影を始めた当初は今と違って、つまらない写真しか撮れない苛立ちと、ただ美しいものを撮っているだけだという漠然とした焦りで苦しかったのを覚えている。
自然光やスマホのライトを使って色々と試行錯誤を続けて数ヶ月が経ち、ライティングを組んで撮影することに。そろそろ、あの時の自分には観えなかったものが観えるようなっているかもしれない。そんな直感があった。
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いつもは通り過ぎる大手町の地下街にある花屋の店先で、仄かにピンクがかり薄く透き通る花弁が美しいセルリアが目に入り、思わず引き寄せられた。まるであどけない少女の頬のように、微かな色気を放ったその花に釘付けになっている自分がいた。頭の中にぶわぁっとイメージが浮かび、購入して帰るとすぐにライトを組んで撮影に入る。まあこんなもんかとひとしきり撮った後は花を飾り、その命が尽きるまで責任を持って日々お手入れをして枯れるのを待つ。
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私は若い人を見た時にその人が年を取った時の姿を想像する癖があるのだが、この花が枯れた時は一体どんな姿になるのかとても気になった。
そしてようやくその時が来た。だらしなく垂れ下がった花弁や腐敗が進む茎や枝もまた美しい。と同時に、腐った臭いが鼻腔を刺激する。ついに咲くことのなかった蕾を切り落とすと、曲がりくねった茎はまるで理科室の骨格標本のよう。そこには私が探し続けていた答えがあるような気がして、またハッとした。私はずっと、死の瞬間を見たかったのかもしれない。自分が死ぬ瞬間を想像して、受け入れるために。
撮り終えてから片付け終わってデータを確認しながら、ゴミ箱に入れた花が気になっていた。別れが惜しくて、もっと細部までよく見て、触れて、感じてみたいと思った。慌てて拾い上げ、物言わぬ花を細かく切ってまた並べて、今度は「ライティングもクソもあるか!」と勢いそのままに直射光で撮ってみる。
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火葬場で焼かれた骨みたいだと思った。ならこれは、花の葬式か。
セルリアの別名は「頬を染めた花嫁」らしい。私は正に花盛りを射止めたのかもしれない。その一生を捧げてくれてありがとう。
また美しく咲いたあなたに出会えますように。
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