何が本当なのかは「神のみぞ知る」
突然ですが……
アナタハ神ヲシンジマスカ?
どうも、信仰心の塊ほりたみわです。神を信じるもなにも、神様を信じまくってます。とはいえ何かひとつの宗教を信じているわけではありません。
仏教もキリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も古神道もそれ以外の宗教も勉強中です。一生かけても学び切れることはないでしょうけれども。
わたくし、いろんな宗教というのは「かみさま」のあらゆる側面をあらわしているだけという考えのもと、いろんな宗教について学んでおります。
なので、この宗教は良くてこの宗教はダメという思いはありません。どの宗教も「かみさま」の一側面なので。
ただ、それぞれの宗教の中で「んんん……これは解釈がちょっと違うんじゃなかろうか」と思うところはあったりもします。
もちろんそれは宗教が、ということに限った話ではなく、それを信じる人のその宗教への理解が、ということも含まれます。それについてはまた別の機会にお話させてください。
とはいえ、わたくしごときに真の神様のお姿……完全なる真理がわかるわけもないので、どうかなと思うところも「今の自分はそう思ってる」という考えで留めております。
というのも、これまでいろんなことを学んでくる中で成長したことによって理解が深まり、過去の自分とは違う考えになってきているから。
真理の扉は探求するものに開かれると信じておりますゆえ、そのうちわかるかもしれないしわからないかもしれないですけれども。
前置き長くなりましたが、タイトル通り、現在エホバの証人から聖書レッスンを受けております。
「エホバの証人」というと、なかなかよくないイメージをお持ちの方も多いかと思います。
そんなエホバの証人から聖書レッスンを受けたのは、真理を探究していく中でいろんな人の考えを知りたいと思ったからです。
宗教というものは何かと嫌われがちですが、宗教を嫌う人は何かしらの宗教に属しているか、無宗教という信仰をしている人なだけで、「自分の信じるもの以外を嫌ってる」という意味では同じ人たちだと思っております。
エホバの証人の鞭打ちについては先日ニュースになったりもしていたので、そのことはまたあらためて触れるとして、今回は聖書レッスンを受けてどうなったかについてお話します。
ざっくりどうなったかといいますと……
- 聖書について知識が深まった
- エホバの証人への理解も深まった
- 集会に参加した
- 現在特に勧誘はされていない
という感じです。以下、詳しくお話していきますね。
聖書について知識が深まった

わたくしが初めて聖書を読んだのは高校生の時。
図書館で無料配布されていたものをいただき、ただひたすらに読みました。
内容をどれほど理解できたのかというとそれはもうさっぱり理解できてないといっても過言ではないほどにさっぱりでした。
ひと通り文字を目で追い、読み終わりはしたのですが、どんなお話だったのかもイマイチわからず、そこから何も学べないまま。
だけど、その聖書のもつエネルギーに触れた喜びのようなものは感じました。
そんな理解度ゼロからのスタートですので、聖書がどのようなものなのか、いつ頃誰によって書かれたのかすら知らず。
聖書に書いてあることが歴史的にも事実だったり、しかもそれが予言されていたということにも驚きました。
科学的にも今では当たり前になっていることが、そんな発見がされるずっと前の聖書に書かれていたことも知りませんでした。(聖書知らなすぎ)
とにかく、レッスンによって聖書がいかに素晴らしい本であるか、神の御導きによって書かれたものであることの理解が深まりました。
「主」→「エホバ」?

聖書レッスンで学んだ中で一番衝撃的だったのは聖書には神の御名が7000回近くも書かれていたということ。
それが新世界訳(エホバの証人による訳)の聖書では「エホバ」と名前が書かれてあるんだけれど、他の聖書には「主」として書かれてあるんですって。
人々があなたのことを知りますように。
新世界訳
エホバという名を持つあなただけが,
地球全体を治める至高者であるということを。
新世界訳
この「エホバ」の部分が他の聖書では「主」になっているとのことでした。
彼らが悟りますように
新共同訳
あなたの御名は主
ただひとり 全地を超えて、いと高き神であることを。
確かに、Kindleに入っている新共同訳の聖書でも「主」でした。
主という名をおもちになるあなたのみ、
日本聖書協会
全地をしろしめすいと高き者であることを
彼らに知らせてください。
いつだか古本で買った日本聖書協会の聖書も「主」でした。
わたくし当時何も考えずに読んでたのでしょうが、御名が「主」っておかしくないですかね。お名前ですからね。御名。それが「主」というのは。
しかし、真にどちらが正しいかなんて、わたくしごときにわかる話ではないのです……。
もともとはその御名が聖書に書かれてあったのに、今は「主」に書き換えられているというのは何ていうか考えさせられるお話ですよね。