三峯神社でわかったいろんなこと
先日…といってももう10日以上前になるのですが、三峯神社に行ってきました。そこでわかったことがいろいろあったので、まとめておきます。
- パワースポットのパワーや合う合わない
- 「呼ばれる」ということについて
- 妙法ヶ岳の頂はॐ(おーん)のエネルギー
- 地下足袋とニッカがすごくいい
パワースポットのパワーや合う合わないということについて
関東屈指のパワースポットと呼ばれる三峯神社。パワースポットのパワーとは何なのか。それを知るために行ったのではないのですが、あらためてそれを知ることになりました。
人生初三峯神社
メケヤマさんと行ったのですが二人とも初めてでした。人気パワースポットなので、平日にもかかわらずたくさんの人が参拝にきておりました。
毎月1日には特別なお守りも授与されるとかで、かなりの混雑になるようです。
拝殿前の敷石にある、この龍の模様は2012年(辰年)に突然現れたらしく。待ち受けにするといいらしいので、よかったらどうぞ。画像横長ですけど。
熊手や破魔矢も売られてました。熊手!!!と思いましたが、神社系の熊手はそれなりにあるからまあいいかなと(熊手の研究的観点)今回は買わずでした。
ご神木はとても人気スポットで、来た人は抱きついて「氣」を感じておりました。このお写真も人いない風に撮れてますが、よく見たら木に触れている人の姿がそこに。
パワーとは何なのか
神社をうろうろしたものの、わたくしとメケヤマさんふたりしてここではパワーを感じませんでした。鈍感とか敏感とかの話でいえば、ふたりとも敏感なほうですが、そういうことではないんです。
ではなぜ感じなかったのか。
ふたりが求めていたものと三峯神社のパワーが違ったからなんです。
呼ばれて来たと思ったんだけどな…と思いつつ、神社ではなく妙法ヶ岳のほうにそれを感じて行った奥宮にはふたりが求めていたものがありました。
メケヤマさんとわたくしはご利益的なエネルギーではなく、自然の気を感じたかったんです。
合う合わないについて
「みかんを食べたい」と思っているときにあじの干物を出されても嬉しくないのと同じです。パワースポットもパワーがあるとかないとかっていうより、合うか合わないか…ただそれだけです。
パワースポットに限らず、行くと気持ちよくなったり悪くなったりする場所ってあると思うんですが、それは「その時の自分に合うか合わないか」ということなんだと思います。
子供に大人の服を着せてもぶかぶかで動きづらいですよね。子供には子供服。それと同じこと。
そもそも「パワー」には良いも悪いもないし、すごいとかすごくない…もないんです。「それをどう感じる自分がいるか」だけなんですよね。
「呼ばれる」ということについて
「呼ぶ」とか「呼ばれる」ってときどき言いますが、自分がそっちに行きやすい状態になってるだけのことです。それを「呼ばれる」と感じるんです。
呼ばれたほうに進んだらきのこがあって、「ああ、やっぱりこっちに呼ばれてたんだわ」って思ったけど、これもきのこのエナジーに引っ張られただけの話です。
「呼ぶ・呼ばれる」があるとかないとかの話になると、「すべてがある・ない」の話になるので、それ語りだすと「そうではないそうではない」まで飛びかねないので今回は割愛。
とにかくいえることとしては「自分で決めている」ということです。そのことに対して、良い悪いはないんです。あるとしたらその人が決めただけのこと。
山に呼ばれました
で、メケヤマさんとわたくしは三峯神社本殿に呼ばれていたのではなく、奥宮というか山に呼ばれていたんです。
なかなかの道でしたが、歩いていても激しく疲れたりはしなかったです。奥宮までは1時間ほどで着きました。
妙法ヶ岳山頂からの景色。最高でした。二人はこれを感じたかったというわけでした。
妙法ヶ岳の頂はॐ(おーん)のエネルギー
奥宮にお参りしたときに観じたのはॐ(おーん)でした。観るでもなく感じるでもなく。観じるね。くゎんじる。
お参りしたあと、展望台(なのかな…)で瞑想していたのですが、その時もॐ(おーん)が中心にあるひし形のマンダラ的な絵が観えました。ひし形ってエネルギーの流れと深く関りがある図形らしいですね。ひし形で調べているといろいろ情報が出てきますが、なんていうかまあ、そういう図形です。
その絵、そのうち描きます。
ॐ(おーん)とは
そしてॐ(おーん)は本質、純粋な意識的なもの、根本原理の象徴とされている音。
ここはそういうエネルギーに触れられる場所でした。
そりゃ大山倍達が修行するわけだわと思いました。どこでしていたのかは知らないけど。
地下足袋とニッカがすごくいい
ここからはお話前後して、奥宮入口に戻ります。とにかく地下足袋とニッカがすごく良かったよというお話です。
ここで登山届を出してから奥に進みます。熊出没注意らしいです。熊鈴持ってなかったけど、この直後に来た二人組が持ってくれていたのでその鈴の音をお借りすることにしました。
そしてここから先はなかなかの登山道らしく、それなりに装備があったほうがいいよということは神社のあたりで調べてあったので、駐車場にいったん戻って水筒と食料、あったか装備をまとってから来ました。
幸い二人とも丸五の地下足袋だったので、登山はできる足元でした。いつもはわたくし下駄だったり、メケヤマさんときどきスニーカーだったりするのですが、この日はなぜか二人して地下足袋。
打ち合わせなしで丸五の地下足袋という、「呼ばれてた」と思っちゃうような出来事でした。
地下足袋とニッカ
ここで少し休憩していたら、熊鈴のおふたりも休憩することにしたらしく。そして「地下足袋いいですか」と聞かれましたので、とっても歩きやすいですとお答えしました。
歩きやすいといったものの、ここ5年くらいニッカと地下足袋の日々でして、それが普通になってしまっているので歩きやすいかどうかってもうよくわからない域になっていました。
メケヤマさんは地下足袋履いたり履かなかったりですが、お休みの日は地下足袋メインにしたところ、足の使い方が変わったというようなことを言っていた…気がします。
ニッカも歩きやすそうでいいですねと言われ、歩きやすいですよ~とお答えしながら、「わたくしの普段着は急な登山もまあまあできる」ということに気がつきました。
で、そんなどうにも「現場」な服装をしていたのに、「巫女さんみたいですね」というまとめのお言葉をいただきました。ありがとうございます。かみさま好きがどこからともなくはみ出てたかしら…。
地下足袋で地面をつかむ
というわけで、無意識で歩いていた地下足袋ですが、山を歩けば歩くほど快適であることがあらためてわかりました。足で歩いてる感がすごくあるんですね。地下足袋って。
靴の時って、地面と触れてる感がすごくないんですよね。地下足袋って足で地面をつかむ気持ちで歩けるんです。裸足程じゃないけど。
奥宮までの道のりは、木の根っこだったり、石だったり、葉っぱだったり、いろんな地面があるんだけど、それを足でより感じられるのは地下足袋だからこそなのかなと思いました。
でこぼこしてても歩きやすいんです。
「階段・クサリ場は足元に注意しましょう」だなんて。どんなことになってるの。いや、もうすでに道なさそうですけど。
こんなことになってました。クサリつかまないと困難。
…だったのですが、ここ歩いてるときに地下足袋のすばらしさを痛感しました。とんでもなく登りやすい。足でつかめる!!!
いや、まあ登山靴のほうが安全なのかもしれないんですが、登山のための靴ですし。でも地下足袋(とニッカ)、本当に快適だなと感じました。
無茶な下りも地下足袋はらくらく。
いつも使ってるのはこれ。ワークマンでも買えます。まとめ
思いのほかいろんな発見があって、まとめたいと思いつつ、どうぶつの森を一生懸命やっていたら紅葉シーズンも終わりそうになってしまいましたが、そんな三峯神社でした。とんでもないパワースポットです。
といいつつ、パワーはあるとかないとかじゃなく、自分が必要としているかどうか。です。
いきなり飛行機をもらっても操縦できないし置き場ないし…要らないわっていうのと同じ。必要なものが得られたら喜び、不要なものはもらっても不要ということですね。
そこから一歩引いて、つまり「自分がどういう状態なのか」を観じることが大切なのかなと思いました。くゎんじる。
おまけ。「三峰神社」という表記がよくみられますが、公式は「三峯神社」のようです。