じゅんと2回目に会ったのははるじが肉体の衣を脱いでしまってから。
はるじが平成とともに始めたスナックランデブーは7月で閉めることに決めて、それまでの間少しだけ営業していた。
はるじのいなくなったランデブーにははるじの写真をこれまで以上にたくさん飾り、はるじのいない寂しさを写真で埋めた。
いくらあってもそんなの埋まりっこないけど。
はるじの美しいスノボ写真をながめながら、「はるじがいなくなってしまった今、はるじの美しい滑りを継承できるのは自分しかいない!」と勝手に思っていた。
暇さえあればiPhoneではるじのスノボ動画を再生して研究し、はるじのスノボ友達に動画を見せてはいろいろコメントをもらったりして、ひたすらはるじになろうとしていた。
そんな頃、じゅんがふらりとランデブーに来てくれた。
飛び方を知っているじゅん
はるじになる話をじゅんにしていたら、じゅんから「そういえば、ずいぶん前にともちゃん(はるじ)から飛び方を聞かれたことがあるよ」というとんでもない話が飛び出した。
プロにまでスノボを教えていたはるじが、じゅんから飛び方を教わっていただなんて。
しかし、その飛び方についてじゅんに詳しく聞くも、これといった説明はしてもらえず。出し渋ったわけではなく、うまく説明ができないみたい。
一生懸命聞き出したら「ギリギリ直前でリズムよくこうして……」みたいなことを動きも交えて教えてくれた。
でもやっぱり言葉がふんわりしすぎていたことと、そもそも飛んだことがないこともあって、あまり意味が分からなかった。
感覚で生きる天才タイプの人間は人に伝えるのは苦手だったりするんだろうなあと、やんわりとがっかりした。
はるじになるためにものすごく重要な気がするけど。
そう。じゅんは感覚で生きてる。理屈じゃない。
感覚で生きるじゅん
じっくり考えるというよりは、とにかくやってみる。そこからリズムで捉えたり、言葉にできない何かを感じながら生きている人。それがじゅん。
大好きなパンチラ話を嬉しそうにするじゅんの無邪気な笑顔を見ながら、はるじもじゅんのこの無邪気さが大好きだったんだろうなあなんて思ってた。
じゅんははるじとは真逆のような人。
はるじはひとつひとつの物事についてじっくりと取り組み、それを身体に染み込ませて、そしてそれを人に伝えていく人だった。登山もスノボも。
もともと伝えることは得意じゃなかったみたいだけど、一生懸命に考えて言葉を紡いでいた。
むがじんに書いてくれた記事もそんな性格がすごく滲み出ているから、読みかえすとはるじを感じることができる。
じゅんとはそのスノボ話をした日からLINEを交換して、はるじのやりたかった「無我人流滑降術」についても伝えて、(半ば無理矢理)協力してもらうことに。
無邪気なじゅん
じゅんとのLINEははるじとは……どころか、いわゆる普通の人とは全然違った。
LINEが苦手なのか日本語が苦手なのかわからないけど、解読するのに少し時間がかかるような文章。
でもそこには無邪気さだったり、ぬくもりもあって、それはそれですごく……なんとも言えない魅力的なLINEだった。
人は自分にないものを持っている人に魅力を感じがちだけど、はるじもそんな気持ちでじゅんを見ていたのかな。
はるじがじゅんの話をしてくれる時、はるじとじゅんはいとこだし、ずっと遊んだりしていたから身近だったはずなのに何か遠い感じがしていたのはそれだったのかもしれない。
今となってははるじのじゅんに対する気持ちはよくわからない。けど、はるじがじゅんのことを大好きになる気持ちはじゅんと接してみてよくわかった。
じゅんはランデブーの最終日にも飲みに来てくれた。
最終日ははるじが会いたかったであろう人たちがたくさん来てくれて、平成とともに始まってみんなに愛され続けたランデブーは32年間の幕を閉じた。
ランデブーが閉店してからは、はるじのおうちにみんなで集まって昔の写真をみんなで眺めながらお酒を飲んでいろんな話をして……はるじがいなくても寂しくならないように、はるじがお友達を呼んできてくれたみたいな気がした。
でも、みんながはるじのことを話してくれるたびにはるじへの想いはますます募るばかり。みんなが帰った後ははるじがいない寂しさを枕にぶつけて声を上げて泣く日々だった。
そんな中、じゅんはみんなで飲んでた時に忘れたマスクを取りに来てコーヒーをくれたり、無邪気だけど時々解読困難なLINEを送ってくれたりして癒してくれた。
そうこうしているうちに、じゅんとのLINEも増えてきて、はるじの四十九日を迎えた。
法要は四十九日より少し前で、はるじの四十九日にはじゅんと二人で登山してきたけど、その時の運命的な話はまたあとで。(つづく)