吾はいかにして写真機愛好家となりしか

この部屋には何台の写真機があるのだろう。

散らかった書類の下からレンズが出てくることもしばしばだ。自分の脳が把握できる限界を超えたと感じたときに主だったものはリストアップしたのだが、新たに増えたものや故障品は記載されていない。ただ、幸いにもこの界隈では三桁にならないと一人前ではないような雰囲気があるので、これ以上ふえてもさして問題はあるまい。

一眼レフ、レンジファインダー、スプリングカメラ、形式もフォーマットも様々あって、戦前のカメラでも撮影できてしまうのには感嘆を覚える。
まだ実際に撮影に使っていないものも多く、まだまだ死ねない理由だらけの部屋だ。

 

しかし、いつから僕の部屋はカメラの沼へと変わっていったのだろう。
写真をはじめて少なくとも数年は、使わないカメラを持とうなどと企てることはなかった。

僕が写真をはじめたのは、高校のころ、ヴィレッジヴァンガードの一番安いトイカメラを購入したときだった。トイカメブームもピークを過ぎていたと思うが、まだヴィレヴァンでアグファのフィルムが置いてあった時代である。

ズームはおろかシャッター速度も変えられないカメラで毎日撮っていた。それこそ学校の中でも持ち歩いてた。技術も思想もなかったけれど楽しくてしかたなく、今でも、その頃のアルバムを見て撮影のやる気を起こすことがある。

それから地元の国立大学に入学。当然のように写真部に入るのだが、それからも数年、特に機材にこだわることはなかった。愛でるためのカメラなんて邪道だと、たぶん、本気で思っていたこともある。

その写真部というのがまあ古くさいところで、「展示会ではモノクロ写真を自分で全紙にのばしなさい」というルールが未だに残っていた。けれども暗室作業や機材の扱いはもう全然わかっていないものだから、ふりかえればかなり野蛮であった。薬液の鮮度管理はおぼつかないし、タンクも真横にカタカタと振っていた。中判ネガを引き伸ばす操作もわからないという有様だった。それでもまあおもしろくて楽しくてしかたなかったけれど。

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