DJ AKKY 人生は選曲だ!(53)  ディアンジェロ 追悼

1/fゆらぎとディアンジェロ ――祈りのテンポと、黒の閃光

 音楽を「心地いい」と感じる瞬間には、必ず“ゆらぎ”がある。
 それは完全な規則でも、完全な混沌でもない。物理学では「1/fゆらぎ(ワン・オーバー・エフゆらぎ)」と呼ばれ、自然界の多くに見られる秩序と不規則性の均衡状態だ。

ろうそくの炎、波の音、木漏れ日のちらつき――これらの周期的な現象に潜むわずかな不均質さが、人間の神経系のリズムと共鳴し、快感や安堵感を生む。音楽における「グルーヴ」もまた、このゆらぎと深く関わっている。

 ディアンジェロの音楽は、その1/fゆらぎを意識的に体現してきた。

アンサンブル全体で“ズレ”を設計する

彼のリズム構築は、デジタルな正確性を拒み、アンサンブル全体で“ズレ”を設計することに特徴がある。

ドラムのクエストラヴは決められた「拍」よりコンマ数秒遅れてスネアを置き、ベースのピノ・パラディーノはさらに後方に「拍」を置き、独特のグルーヴを構築する。ディアンジェロのヴォーカルもリズムの中心から微妙にずらして配置される。

この「時間のずらし」は、理論的にはテンポの揺らぎでありながら、聴覚的にはひとつの“呼吸”として機能する。結果として、演奏全体が有機的に脈打ち、聴く者の身体的テンポと同期していく。――これが、彼の音楽を特異なほど「人間的」に感じさせる理由である。

 『Voodoo』(2000年)は、この美学が最も純度高く結晶した作品だ。
 録音では演奏の自然なズレを均す処理を避け、人間的な呼吸をそのまま残した。あえてリズムの揺れを生かすプロダクションが徹底された。サウンドの重心は低く、空気の密度が高い。彼独特の重厚で湿度を帯びたグルーヴは、機械では再現できない“時間の伸縮”の産物だった。

 その後、ディアンジェロはより生演奏的な熱量を求めていく。

ドラム ジョン・ブラックウェル ギター ジェシー・ジョンソン

ツアーで彼のドラマーを務めたジョン・ブラックウェルは、プリンスの「The New Power Generation」で知られる名手である。彼のドラムには、驚くほど緻密なコントロールのもとに1/fゆらぎが宿っていた。スネアのタイミングを意図的にわずかに後ろへ引き、ハイハットで拍感を補正する。結果として、全体が前進と停滞のあいだで揺れ続ける――まさに“人間の鼓動”そのものだった。 ジョン・ブラックウェルのドラムは下記のアルバムから

「Prince/ The Rainbow Children」

ディアンジェロ作品の「安らぎの中の緊張感」は、このドラミングによって支えられている。

 そして『Black Messiah』(2014年)では、ジェシー・ジョンソンのギターが重要な役割を担う。
 彼はプリンス率いるザ・タイム(The Time)のギタリストとして80年代ファンクを支えた人物であり、その音色は「黒の閃光」と形容すべき独特の質感を持つ。

曲のテンポを互いの呼吸や動きをみながら決める。

ディアンジェロは彼を起用することで、リズムの有機性に対し、音響的な緊張を加えた。ジェシーのギターは中域の粘りを保ちながらも、倍音が硬質に立ち上がる。リズム隊のわずかな“遅れ”に対して、ギターのアタックが微妙に先行することで、時間軸に立体的な深みが生まれる。
 つまり、ゆらぎの中に鋭いエッジが差し込む構造がグルーヴを生み出している。

 ディアンジェロの音楽は、こうしたミュージシャンたちによる「人間のゆらぎ」の集合体だ。
 彼らはメトロノームに従わず、互いの呼吸でテンポを決める。微細なズレが重なり、音楽はひとつの生命体のように振動する。
 そこには、リズムを「制御する」ではなく「共存する」という哲学がある。

 この哲学はP-funk/Princeにも通じており、P-funkのリーダーでもあるジョージ・クリントンのライブを感じてもらえればディアンジェロが直系であることはおわかり頂けると思う。

 音楽とは結局、「身体の知覚の芸術」である。

 ディアンジェロの声、ジョン・ブラックウェルのビート、ジェシー・ジョンソンのギター
 そのグルーヴは、音楽を超えて、生き方のテンポそのものを示唆している。
 「焦らず、比べず、少し遅れてもいい。」


 1/fゆらぎのリズムとは、私たちが呼吸しながら進むための、最も自然な拍なのだ

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ABOUT US
AkibaRyuji
東京生まれ東京育ち。元水球とラグビーの選手。原宿クロコダイルや本牧ゴールデンカップなど老舗ライブハウスやミュージックバーなどでDJ展開中。得意なジャンルはSoul Music やDiscoMusic。SoulBarをつくるのが夢。