DJ AKKY の人生は選曲だ!(26)音楽と言葉。新しい表現を開拓したミュージシャン。

 

音楽と言葉

みなさんはどんな音楽を聴いていますか?

僕はご存知のとおり、ファンクやディスコミュージックなど、ざっくり言えば踊れる曲を選曲しイベントなどで廻したり、とあるサロンのBGMとして選曲したり、展示会用に選曲したりしています。

選曲する基準は様々ですが、日本語以外の歌詞なら日本語以外の歌詞、日本語なら日本語で大きくわけます。日本語以外の曲に1曲だけ日本語歌詞が入ると、それまでの曲の流れから、歌詞だけがスッと耳に入る現象が起きます。

これは母国語だから。という理由もあるのですが、1つの音符にどれだけの言葉が載っているか。耳はそれを判断します。

日本の音楽シーンを遡ってみると

昭和戦後の音楽シーンを掘るといわゆる「輸入」で、そこに日本語歌詞を乗っけて、という、すでにそこから日本的文化の咀嚼と吸収が始まっています。東京ブギウギ、ココロズキズキワクワク。当時にしては画期的な歌詞だったと思うんですよね。

ざっくり60年くらい前。1960年から1970年。当時のメイン音楽であったジャズから、ブルース、そしてThe Beatlesやローリングストーンズが流行り、その他のアーティストもジワジワと日本に入り始めて、洋楽フォーマットをそのまま音楽も歌詞も英語で歌う日本のミュージシャンもいれば、洋楽には全く関係なく、昭和初期から累々と伝わる歌謡曲フォーマットやフォークソング、ポップスを歌うミュージシャンもいれば、洋楽フォーマットをいかに日本の市場に持ち込んで日本語で歌うかを試行錯誤しているバンドやミュージシャンもいました。

1970年前半は、ロックか歌謡曲か。

洋楽フォーマットをそのまま音楽も歌詞も英語で歌う日本のミュージシャンが多く、ギターが不良の持ち物だ。みたいな言われ方をされていた時代もあります。

今では考えられないですね。そのミュージシャンやバンドが演奏する場所は、ライブハウスやバーなどお酒やタバコや喧嘩などが付き物。革ジャンにリーゼント、キャロル、矢沢永吉や、舘ひろしがリーダーをしていたバイク集団(族です)でロックバンド、ザ・クールス。

そして、直系にあたるのが、1960年後半のソウルミュージックを中心に、ロックンロール、R&B、GS(グループ・サウンズ)をバリバリ演奏する現役バンドGo! Go!マーチャンズなど。

Go! Go!マーチャンズ。 DJ AKKYは、一時期、前座DJとして参加しました。

 かたやテレビ放送で流れる音楽は、今と違って家族全員が同じ時間に集まって視聴するので音楽も歌詞も万人に受け入れられるような、いわゆる演歌や歌謡曲が主体でした。1978年に始まったザ・ベストテンでは開始後、数年間演歌と歌謡曲、ピンク・レディー、キャンディーズ、中島みゆきとGS出身の沢田研二などがチャートに入っています。

1970年後半から、音楽と言葉が一体化していきます。

洋楽フォーマットをいかに日本の市場に持ち込んで日本語で歌うかを試行錯誤するか。と書くと、それは「速さ」にあります。

当時の日本語の持つ速さ(話す速さや聴いて理解する速さ)と洋楽が持つ曲の速さって違うんですよね。

曲の速さを損なわないように日本語の歌詞を載せて、かつ聴き手にも理解させる。かつ、当然ながら売れなければミュージシャンのその後の存続にも影響が出てきます。お手本もない。じゃいつ誰がどのように試行錯誤していったのでしょうか。

いつ誰から?

誰からって定義は難しいんだけど、音楽と言葉が一体化してきて、かつ「売れた」って基準が大事だと思っていて、それは「売れる」ために。

で、発表したその時代に、その作品を受け取る世代を一番多い人口世代に購買層設定するなど、「売れるための戦略を立てているミュージシャン」という尺度、かつ未だに現役で作品を出し続けているミュージシャン。

……ってなると、僕的には1970年代後半に出てきたミュージシャンである、サザンオールスターズ桑田佳祐と佐野元春だと思います。

不良の持ち物と言われたギターや、バンドマンなんて真っ当な仕事じゃない!と言われた時代に若者の代弁者的に、かつ、時代を代表するセールスを実現したミュージシャンだと思います。ぶっちゃけアラフィフでこの二人を知らない人居ないでしょ。

「胸騒ぎの腰つき」「愛苦ねば世も知れず「報道されないY型の彼方へ」

いつか。はい。これは1978年。

曲は「勝手にシンドバット」サザンオールスターズデビュー曲ですね。速度の速い曲に合わせるように早口で歌うので、はっきり聞き取れない。

英語的な巻き舌で歌うから歌詞も一回聴いただけでは何を言っているかわからない。だからテレビ画面上に歌詞を表示せざるを得ない。この曲が歌詞表示された最初の曲だそうです。

さらには「胸騒ぎの腰つき」が意味がわからないと当時のディレクターから提案を受けたけれど、桑田佳祐が押し切って今の歌詞に。当時22歳。押し切った桑田佳祐もすごいし、逆に押しきられたディレクターもすごい。

サザンオールスターズは、その時代の若者が使うような口語「俺にしてみりゃ」、ミリャって何だよって話ですよ。いやそれは湘南や茅ヶ崎あたりの喋り口調らしいのですが、音優先、単語の並びも曲に合わせる。意味が通じなくても全然気にしない。

人気者で行こう(オリコン1位 1984年7月)

特にアルバム「人気者で行こう」では、日本の古語の響きと英語の響きと音が似ているフレーズがアルバム一枚に数多く見られます。

で、最大の特徴は「仄かに漂うエロチックな」感じ。桑田佳祐の独特な声と相乗効果で、独特のエロさを醸し出しています。

「シャンデリアの街で眠れずに」「アスピリン片手のジェットマシーン」「シェイム」

そして佐野元春。1980年「アンジェリーナ」が佐野元春デビュー曲。

この歌詞は意味よりも言葉の響き、韻を踏んだり、英語詩でいうライミングを取り入れて、それまでのいわゆる歌謡曲の説明的な内容ではなく単語単語でイメージを膨らます歌詞です。

ちょっと音楽的な話になりますが、最初の歌い出し、シャンデリアの部分は「シャンデリア」を、それまでの歌謡曲だと1音に1文字づつ、「シャ ン デ リ ア」となり、5音符必要のですが「シャン デリ ア」とすることで3音符、スピード感を発明してます。

他は「サーキットシティ駆け抜けて」とか「ジェームスディーン気取りのティーンエイジ・ブルース」など長音(伸ばす音)が続きます。音符でも聴いた単語でもスピード感が出る方法をいわば発明してます。

ちょっと前のめり感になる音符への乗せ方から来るスピード感。横文字から想起される洗練された都会的な感じですね、

都会の若者のライフスタイルを歌う。

NoDamageには初期3枚のコンセプトである若者のライフスタイル。1980年前半の若者の様子が聴けます。

2枚目のアルバム「HEARTBEAT」に収録されているNIGHTLIFE。

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ABOUT US
AkibaRyuji
東京生まれ東京育ち。元水球とラグビーの選手。原宿クロコダイルや本牧ゴールデンカップなど老舗ライブハウスやミュージックバーなどでDJ展開中。得意なジャンルはSoul Music やDiscoMusic。SoulBarをつくるのが夢。