DJ AKKY の人生は選曲だ!(38) ハマれ!P-funk沼へ!&久しぶりのDJイベント告知

怒涛のデザインフェスタから早くも2ヶ月以上。速過ぎ。
そのフェスでは、DJが「あなたのサントラつくります」で出品され(爆笑)なんと6名!の方にリスト作りました。長いデザインフェスタの歴史の中でも、DJが出品されるって初なんじゃない?

DJヒアリングブースにお越しいただいた方に
デザフェス初めてですかー?
どんなお仕事されてるんですか?
あ、今日はどこそこからいらしたんですねー。などお話を伺い。

会話を進めると後半は人生相談的な感じになって

今職場がこう言う感じで……今のお仕事変えたいんですー。とか
新しい1歩を踏み出したいんですー。とか
聴いたことない音楽をDJさんから教わる機会なんかないからー。などなど
とある方にはP-funkをお勧め。

その方からは、「P-funkに興味を持って聴き始めました」と。
Funkってなんだかなんとなくわかってきました。ハマろうと思います!
新しい1歩が踏み出せそうです!

と。嬉しいダイレクトメッセージを頂きました。いやマジで嬉しい。

そんなあなたには
You keep da Funk!

踏み出せP-funk沼へ!ってことで今ではそのリストは6時間半の
リストになり、僕史上もっとも濃いぃリストに。自分で聴いて楽しんじゃってます(爆笑)

さてP‐funk……って何だ!?

P‐funk はぴーふぁんくと読みます。Funkとどう違うの?
先ずはその呼び方の由来から。

諸説あるんですが、グループリーダーのジョージ・クリントンの出身地がアメリカはニュージャージー州のPlainfieldという場所でした。
意外に西側ではなく東側。観光地で有名なマンハッタンの西側です。

彼は1955年14歳のときに床屋さんを始め(日本で言えば中卒?)そこで集まった仲間とDoo-wopグループをつくります。the Parliaments というグループ名でスタート。契約面からその名前が使えなくなり、ほぼ同じメンバーで名前を変更。変更した当時は1960年後半で、ジミ・ヘンドリクスやスライ&ザ・ファミリーストーンがサイケデリックとロックとファンクの融合を模索していた時期。音楽のフォーマットもかなり激動してましたね。ロックはロック、ファンクはファンク。のころですね。

ジェームス・ブラウンのデビューが1956年。ザ・ビートルズのデビューが1962年。時代的にはその少しあとくらい。

ジョージクリントンはファンクとサイケデリックを足してFunkadelicというグループ名にします。Funkadelicの音楽性は「サイケデリックとロックとファンクの融合」です。1970年にファーストアルバム発表。

しばらくして、 the ParliamentsをParliamentと改称。1974年くらいから2つの名称で(ほぼ同じメンバーで)音楽性を使い分けてジョージ・クリントンは活躍していきます。ParliamentはどちらかといえばFunkより。Funkadelicはどちらかといえばロック寄りという感じですね
この2つのグループを総称してP-funkとも。

僕は地名のPlainfield-Funk=P-funkの方が個人的に好きです。後のプリンスの出身のミネソタ州ミネアポリスの「ミネアポリスファンク」にも通じるしね。

他のFUNKと決定的に違うのは、うん。聴いてみて!(雑)

僕のP-funkとの出会いは

90年から91年になったお正月。東京は原宿の明治神宮に初詣。その帰りにシスコ新宿アルタ店(今は無きその筋では有名なレコ屋)にお約束のようにふらっと寄った際に入り口に平積みされたそこには「プリンスの師匠!P-funk!これを聴け!」的な、わかる人にはわかりまくりのディスク紹介文に煽られてParliamentの方のベスト盤を視聴。

イルカに乗って超でっかいラジカセ抱えてってなCDジャケット ファンキー過ぎ!これがどカーッと並んでました。

*Parliament /Uncut Funk The Bomb ベスト盤

それまで一切知らず、プリンスのレコードレーベルからジョージクリントンって人がCD出すんだ。へー。だったんです。今考えたら恥ずかしい。

89年のThe Cinderella Theory
The Cinderella Theory YOUTUBE FULL ALBUM

実は最初あんまりピンと来なかった。その当時はすでに

N.W.A / Straight Outta Compton 1988年

を聴いてて、89年のThe Cinderella Theoryがなんかちょっと古く聴こえたんだよね。そう70年後半の音作りがぶっちゃけ「古っ!」でした。

Parliament /Uncut Funk The Bomb ベスト盤(大事な盤なので2回出します)

え?こんななの?速さ遅い!音古い!的な。買ったもののしばらくは聴いてなかった。

HIPHOPって実はP-funkの子供たち。

しばらくして衝撃を受けたのは90年3月DIGITAL UNDERGROUDの盤。過去コラムで書きまくってますが。六本木WAVEの店員さんから。僕の顔を見るなりP-FUNKのベスト買った?(書いましたアルタのシスコで聞いてないけど)あぁそうなんだ。集めといたよ好きなの、と。カウンターの後ろから出した数枚のうちの1つがこれ。SEX PACKETS。タイトルで既にヤバいでしょ。(今じゃコンプラ的にアウトでしょ。)

で書いました。聴きました。死ぬほどヤバかった。

*Digital underground /Sex Packets 1990年

これが!どんだけP-FUNKをめちゃめちゃわかりやすくサンプリングしてんすか!ってアルバムで、その次のアルバムはSons of the Pというタイトル。

*Digital Underground / Sons of the P 1991年
Pの息子たち。って名乗ってます。PはもちろんP-funkのPです
ジョージクリントンも参加してたから公認?

*Dr.Dre/TheChronic 1992年

*Snoop Doggy Dogg/Doggystyle 1993年

Digital Underground聴いて、あぁ!そうか!Parliament /Uncut Funk The Bomb ベスト盤でフレーズを聴いたんだ!ここか!って感じ。Dr.Dre/TheChronic やSnoop Doggy Dogg/Doggystyleはその後P-funk聴きまくってたので超楽しめた。未だに良く聴いてます。

この時期のHIPHOPはP-funkのフレーズを元ネタにしている曲がとにかく出まくっていて、流行っているそれらと並行して元ネタであるP-funkの再発CDを探して、聴いて買って掘って聴いて買ってを繰り返し繰り返し。掘って掘って掘ったら、いつまにか足元が「沼」でした。歩くたびにハマる。ズブズブとハマっていく。動けば動くほどハマる。沼です。
ハマりまくった90年から93年くらいはP-FunkのCDを買いまくってました。
(繰り返すけど。店に行くたびにハマる盤を何枚も何枚もリコメンドしてくれた六本木WAVEの店員さんや渋谷CISCOの店員さんには沼にハメていただき深く感謝)

ジョージ・クリントンのソロ曲ATOMIC DOGはサンプリングされまくっていてその数300曲以上。曲を。というよりもその根底に流れる思想。90年代以降のR&BやHIPHOPかくあるべしという「規範」というか方向感というかを示してますね。

その辺はこちらのコラムをご参照くださいましー。

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ABOUT US
AkibaRyuji
東京生まれ東京育ち。元水球とラグビーの選手。原宿クロコダイルや本牧ゴールデンカップなど老舗ライブハウスやミュージックバーなどでDJ展開中。得意なジャンルはSoul Music やDiscoMusic。SoulBarをつくるのが夢。