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おもいでオバケ。
ふとした瞬間に何の前触れもなく現れて、私の心をかき乱すオバケがいる。
過去の失敗や忘れておきたい記憶を手土産にやってきては、それを肴に思い出に話に花を咲かせていく。
聞くに堪えずに「早く帰ってくれ」と頼んでもなかなか帰ろうとしない。気が済むまで居座ってしまうのだ。
そいつの名前は、『おもいでオバケ』。
おもいでオバケが持ってくる手土産は、その時々の私の思考回路に沿ったものであるときもあれば、まったく関係のないものの場合もある。
どちらにせよ必ずと言っていいほど思い出したくない思い出を持ってくるので、私はおもいでオバケの来訪をあまり好ましく思っていなかった。
手土産の種類はそれほど多くないし、現れる頻度も年に数回ではあるが、それでもやっぱり邪魔くさく、イライラしたり少しでも早く消えてもらたいと感じるばかりだった。
しかし、最近はそれほどおもいでオバケの存在を気に病むことがなくなり、時には一緒になって談笑できるようにもなった。
しつこく同じ手土産を持って来てくれるおかげで、手土産に対する苦手意識が薄れてきているのだと思う。
おもいでオバケがやって来れば、過去の失敗と向き合うことができる。
同じような失敗を繰り返すまいという、戒めの気持ちを抱くことができる。
そうしているうちに、あの頃の自分よりも成長した自分に気づくことができる。
私は、少しばかり過去の失敗を引きずりやすいタチだ。
なるべく失敗のないように生きているつもりだが、この先も「こうしておけばよかった」「ああしておけばよかった」と思うような出来事を生みだしてしまうだろう。
生きている限り手土産の種類は増え続け、おもいでオバケは死ぬまで私の前に現れ続ける。
それがわかっているのなら、もう付き合っていくしかあるまい。
いくら「早く帰れ」と言ったところで聞いてくれないのであれば、どうせなら楽しい時間にするしかあるまい。
おもいでオバケがどういうつもりで私の前に現れるのかはわからないが、どうせならいいように利用してやろう。
恥ずかしさや情けなさを感じる思い出話でも、繰り返し語ることで笑い話や教訓に変化していく。
他人に話せないようなことだからこそ、他人には見えない自分だけのおもいでオバケと語らえばいいのだ。
これからもよろしくね、おもいでオバケ。