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「いらまかす」という行為。
「好きな子ほどいじめたくなる」という心理がある。
男の子が女の子をいじめるパターンが多いように感じるが、もちろん逆のパターンも存在しているし、この心理には年齢や性別の垣根は存在しない。
私は中学時代、隣のクラスに大好きな友達がいた。休み時間になるとその子に会いに行き、出会い頭に首を絞めるのが習慣だった。「ほんまにやめて」と言いながらもずっと友達でいてくれた彼女は、笑顔で首を絞める私に対してどんな感情を抱いていただろう。
結構本気で嫌がってたんじゃないかと思う。得体の知れない恐怖も感じていたと思う。その節は大変申し訳ありませんでした。
私が産まれた岡山県で使われる方言に、「いらまかす」という動詞がある。標準語に直すと「からかう」が一番近いのかもしれないが、私からすれば「いらまかす」は「いらまかす」でしかない。
幼い頃、我が家では“いらまかし”が横行していた。母が大のいらまかし好きで、私や弟は格好の餌食になっており、欲しいものをくれない、嫌がることをしつこくされるなど、日常的にいらまかされていた。
母のいらまかしは、こちらが泣くまで続くという見る人が見れば虐待だと言われそうな激しさだった。やられている時はそれはそれは不快なのだが、不思議と根に持ったりはしなかったし、母のことを嫌いになったりもしなかった。
というか、家族だけでなく親戚にもよくいらまかされていたので、こういう愛情表現があるということを理解していたんだと思う。そう、いらまかしは一種の愛情表現なのだ。
そんな環境で育ったせいか、私にも立派ないらまかし精神が宿っている。友人への凶行も、今思えばいらまかし以外のなにものでもなかった。
今現在、私のいらまかしターゲットは旦那である。しょーもない嘘をついてみたり、驚かしてみたり…旦那の反応を見てはニヤニヤとほくそ笑んでいる。嫌がられれば嫌がられるほど、楽しくなってしまう。
直近で一番楽しかったいらまかしは、ヘビが苦手な旦那に対して道端に落ちていた木の枝を指差し「ヘビがいる」と嘘をついたことだ。旦那はその場に固まり、自分よりも遥かに小さい私の後ろに隠れて木の枝を凝視していた。ただの木の枝に怯えるその姿は、たまらなくいとおしかった。
いらまかしには、信頼関係が欠かせない。どれだけいらまかしても最後にはお互い笑顔になれる関係こそが理想であるし、そうでない場合にはイジメや虐待と思われても仕方がない。大好きなあの子に嫌われる危険も孕んでいる。
「いらまかす」という行為に伴う危険性をきちんと理解した上で、私はこれからも旦那をいらまかし続けていこうと思う。いらまかしで笑っていられるうちは、我が家は安泰だ。
まぁ、旦那が私をいらまかしてきたらスルーするかブチギレるかの二択ではあるが。
いらまかされる側の素質も重要であることを肝に銘じておいてほしい。