神様との距離感《排熱日記》6

漆喰に絵を描くようになって48日。

締切に追われたり、屋根のお仕事でくたくたになったりもするので、毎日描いてはいないけど、今日まで描いたのは38点。

とはいえ、作品はアナログだし、ペラペラしたものでもないからだんだん置き場に困り始めた。

大きなものではないけれど、漆喰や岩絵具だったりするので、ほいほい重ねたりもできない。

部屋にある祭壇に捧げてたけど、そこもぎゅうぎゅうになっちゃって板の上に広げてある。

額縁もひとまずのかたちが見えてきたのでいくつか額装した。額装すれば重ねたりはできるようになるものの、むしろかさばるサイズに。

このままでは家に神様があふれかえってしまう……なんて思ってたら。

幸い、描いた絵を欲しいという声がちらほら届いて神様の行き先が決まりはじめた。

しかし決まらなかったのはその金額。

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神様の値段

イラストレーターとして四半世紀ほどやってきたけど、こういう作品の値付けは慣れていない。

それどころか、いまさら「神様を売り物にするのか」という点で悩んだ。

これまでデジタルで描いた作品は神様の絵だったとしても量産可能なことと、これまでのイラストレーターとしての感覚で値段をつけるのに悩むことはなかった。

漆喰に描き始めた神様たちはこれまでのものとは何かが違う。アナログだから、一点ものだから、というだけではない何かが違った。

自覚があるようでなかったんだけれど、これまで描いてきたデジタルの作品と比較して、漆喰に描いた作品はとても良いらしい。

インドの人たちにも「いままでの作品と全然違って素晴らしい」と褒められた。

これまでと違う感覚で描いているのが絵に出てるのかもしれない。

彫刻家がそこにあるものを彫り出すみたいな、そこに隠れてる神様をひっぱり出してるような感覚。絵を描くというより神様と向き合う時間。

それが作品にあらわれているんだとしたらすごく嬉しいし、ひっぱり出したとはいえ、お姿をあらわしてくださった神様に値段なんてつけられない。

とはいえ、神様仏様は神社仏閣でも売られている。なんなら雑貨屋さんにも売られてる。わたくしもあちこちで買っている。

でもそれは神様の値段というよりは材料費だったり、いろんな費用だったりするから、それなりにいただくことはしゃーないのかもしれないけど。

うっとりするような美しい仏像や掛軸なんか高くてほいほい買えないし。

世の中にある神仏は大きかったり、高かったり、畏れ多かったりして、人々との距離が遠いものが多い。たしかに、神様は大いなる存在だから、そうなるのもわかる。

とはいえ、子供のころから神様と仲良くしているわたくしとしては、神様との距離なんてそんなに離れてないほうがいいんじゃないかと常々思っていた。

いつでもあれこれ話しかけたり、普段から仲良くすることで神様はわたくしたちとより近くなれるんじゃないかって。何かあった時だけお願いするような相手ではなく。

漆喰に神様を描くときに思ってたこと。それは、手のひらサイズのかわいいかみさまをそばに置いておくことは人と神様との距離を縮めるきっかけになるんじゃないかってことだった。

神様は「どこか遠くにいらっしゃる」のではなく、「いつもすぐそこにいてくれる」存在。自分の中では「神様」というより「かみさま」。

かみさまを遠く感じるなんてもったいないと思うの。かみさまはいつでもそこにいるし助けてくれる。

かみさまをもっと身近に。

ほりたみわが描いたかみさまを「欲しい!」と言ってくれる人にはそのまま「ありがとう!どうぞ!」って贈りたい。

あれこれ考えれば考えるほど、値段なんてやっぱりつけられないから、お迎えしてもらう人たちに決めてもらうことにしたんだけど……。(まさかのつづく)

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