コロコロコミックと藤子・F・不二雄
父は買い物に出かけるのが好きで、よくコンビニや本屋へ買う予定もないのに僕を連れて行ってくれていました。
家の近くにあるヤマザキデイリーストアへ父と買い物に行った、小学1年生の冬休みの夜。
店内で「これ、ドラえもん載っとるんじゃない?」と父が話しかけてきました。それはコロコロコミック1月号でした。1月号の表紙はドラえもんだったのです。
ドラえもんが好きなことを知っている父はそのコロコロコミックを僕に買ってくれました。ドラえもん以外の作品がいっぱい載っているコロコロコミック。別に欲しかったわけではないのですが、父の好意を受け取ることにして買ってもらいました。
転校したような気持ち
『「ドラえもん」以外は漫画じゃない』と思っていた僕にとって、「ドラえもん」以外の作品がたくさん載っている雑誌を読むということは、転校した時の子供のような、突然知らない子供がいっぱいの世界に飛び込む気持ちになるのでした。
新しい学校でクラスのみんなと仲良くなるため、まずはみんなを知ることから始めるように、「知らない漫画ばかりだからと言っても、食わず嫌いは良くないな」と思い、他の作品も読むことにしました。
当時は「ドッジ弾平」や「ダッシュ四駆郎」、「つるピカハゲ丸」「わお〜ケンちゃん」「スーパーマリオくん」「かっ飛ばせキヨハラくん」などが連載中でした。
まずは知る。
連載物を途中から読む。エピソードの繋がりもわからない中、その1月号を何度も読んで世界観を想像して吸収していきます。以前のエピソードを知らなくても、次第に楽しめるようになりました。
他人がいるから、自分という存在が分かる
吸収し切った時に、「ドラえもんの作者」と「ドラえもん以外の作者」がいるということも認識できてきました。
他人がいるから、自分という存在が分かる。他人がいなければ自分という存在を認識できない。自分は他人であり、他人は自分。自他一如。全ては繋がっている。
その頃には「ドラえもんの作者」は「藤子・F・不二雄」という人だと理解していました。 藤子・F・不二雄先生を認識する。子どもの発達でいう自我の芽生えに近いものでしょうね。
そして、さらなる気づきが訪れます。 藤子・F・不二雄先生はドラえもん以外の漫画も描いているということを知ります。自分の知らない一面がある。「親が知らない人と話している」ような時の不思議な感じ、それに近い感覚だと思います。
世界は僕の知らないことばかりでした。そして、藤子・F・不二雄先生の違う作品を読む機会が上田少年に訪れます。出会いは偶然ではなく必然です。