神様の行き先が決まった作品の値付けに悩んだ末、お迎えしてくれる人に委ねることに。
ところが。
それはそれで悩ましいらしく。せっかく飾りたい!って言ってくれた方を困らせることになってしまった。
ぬぬぬぬ。
悩んでる理由は前回書いた他にもいろいろある。
漆喰に絵を描くことが初めてなので、耐久性がいかほどかわからない。とか。
みんなが欲しがってくれる価格帯が謎。とか。
お金がないからという理由で諦めないでほしい。とか。
単純にアート作品というよりは、作品をきっかけにかみさまのことを知ってもらい、心のよりどころになってもらえたら嬉しいなと思ってるので、金銭的な理由で飾ってもらえないのは不本意。
なので飾ってくれる人が決めてもらえたら……と思ったんだけど、それはそれで悩ませてしまう。
じゃあ、こうしよう!
ほりたみわのAmazon「ほしいものリスト」の中から選んでプレゼントしていただく作戦。これなら金額もいろいろ。それぞれのお財布事情にあわせられる。
しばらくはこの方法で作品をお迎えしてもらうことにした。
作品はどこで完成するのか
値付けはひとまずこれで落ち着いたけど、作品の耐久性について考えていたら、「作品はどこで完成するのか」というところにまでおよび。
朽ちていくものが好きなわたくし。
時(カーラ)によって作られる芸術……廃屋や塗装の剥げた壁を見つけてはうっとりしているんだけれど、そういうものたちの「完成」とはどこなんだろうかと考えることがある。
かんせい【完成】《名・ス自他》
Oxford Languagesの定義 · 詳細
事物が完全に仕上がること。
一番美しい瞬間が「完成」とするならば、それは見る人の主観によって異なる。
かみさまの絵も額装して完成のつもりでいたんだけれど、朽ちて原型を留めないくらいにやっと完成するんじゃなかろうか。
神様にだけ「永遠」が存在する。それ以外は永遠に実在するものではなく、非実在。
そう思ったら、「かみさま」を表現している作品は、朽ち果ててやっとそのかけらを表現できるんじゃなかろうか。
いや、待て。そもそもの作品の目的としては「かみさまを身近に感じてもらう」なので、そういう意味は飾ってくれた人がかみさまと仲良くなったときに完成と言えるんじゃなかろうか……。
そんなことを考え始めたらキリがなくなりそうなので、そんなときはまた漆喰を塗ってゆっくりと息をしよう。行為に専心するんだ。
ブラフマンに捧げる行為に専心する者は、まさにブラフマンに達することができる。(バガヴァッド・ギーター4章24節)