怒涛のデザインフェスタから早くも2ヶ月以上。速過ぎ。
そのフェスでは、DJが「あなたのサントラつくります」で出品され(爆笑)なんと6名!の方にリスト作りました。長いデザインフェスタの歴史の中でも、DJが出品されるって初なんじゃない?
DJヒアリングブースにお越しいただいた方に
デザフェス初めてですかー?
どんなお仕事されてるんですか?
あ、今日はどこそこからいらしたんですねー。などお話を伺い。
会話を進めると後半は人生相談的な感じになって
今職場がこう言う感じで……今のお仕事変えたいんですー。とか
新しい1歩を踏み出したいんですー。とか
聴いたことない音楽をDJさんから教わる機会なんかないからー。などなど
とある方にはP-funkをお勧め。
その方からは、「P-funkに興味を持って聴き始めました」と。
Funkってなんだかなんとなくわかってきました。ハマろうと思います!
新しい1歩が踏み出せそうです!
と。嬉しいダイレクトメッセージを頂きました。いやマジで嬉しい。
そんなあなたには
You keep da Funk!
踏み出せP-funk沼へ!ってことで今ではそのリストは6時間半の
リストになり、僕史上もっとも濃いぃリストに。自分で聴いて楽しんじゃってます(爆笑)
さてP‐funk……って何だ!?
P‐funk はぴーふぁんくと読みます。Funkとどう違うの?
先ずはその呼び方の由来から。
諸説あるんですが、グループリーダーのジョージ・クリントンの出身地がアメリカはニュージャージー州のPlainfieldという場所でした。
意外に西側ではなく東側。観光地で有名なマンハッタンの西側です。
彼は1955年14歳のときに床屋さんを始め(日本で言えば中卒?)そこで集まった仲間とDoo-wopグループをつくります。the Parliaments というグループ名でスタート。契約面からその名前が使えなくなり、ほぼ同じメンバーで名前を変更。変更した当時は1960年後半で、ジミ・ヘンドリクスやスライ&ザ・ファミリーストーンがサイケデリックとロックとファンクの融合を模索していた時期。音楽のフォーマットもかなり激動してましたね。ロックはロック、ファンクはファンク。のころですね。
ジェームス・ブラウンのデビューが1956年。ザ・ビートルズのデビューが1962年。時代的にはその少しあとくらい。
ジョージクリントンはファンクとサイケデリックを足してFunkadelicというグループ名にします。Funkadelicの音楽性は「サイケデリックとロックとファンクの融合」です。1970年にファーストアルバム発表。
しばらくして、 the ParliamentsをParliamentと改称。1974年くらいから2つの名称で(ほぼ同じメンバーで)音楽性を使い分けてジョージ・クリントンは活躍していきます。ParliamentはどちらかといえばFunkより。Funkadelicはどちらかといえばロック寄りという感じですね
この2つのグループを総称してP-funkとも。
僕は地名のPlainfield-Funk=P-funkの方が個人的に好きです。後のプリンスの出身のミネソタ州ミネアポリスの「ミネアポリスファンク」にも通じるしね。
他のFUNKと決定的に違うのは、うん。聴いてみて!(雑)
僕のP-funkとの出会いは
90年から91年になったお正月。東京は原宿の明治神宮に初詣。その帰りにシスコ新宿アルタ店(今は無きその筋では有名なレコ屋)にお約束のようにふらっと寄った際に入り口に平積みされたそこには「プリンスの師匠!P-funk!これを聴け!」的な、わかる人にはわかりまくりのディスク紹介文に煽られてParliamentの方のベスト盤を視聴。
イルカに乗って超でっかいラジカセ抱えてってなCDジャケット ファンキー過ぎ!これがどカーッと並んでました。
*Parliament /Uncut Funk The Bomb ベスト盤
それまで一切知らず、プリンスのレコードレーベルからジョージクリントンって人がCD出すんだ。へー。だったんです。今考えたら恥ずかしい。
89年のThe Cinderella Theory
The Cinderella Theory YOUTUBE FULL ALBUM
実は最初あんまりピンと来なかった。その当時はすでに
N.W.A / Straight Outta Compton 1988年
を聴いてて、89年のThe Cinderella Theoryがなんかちょっと古く聴こえたんだよね。そう70年後半の音作りがぶっちゃけ「古っ!」でした。
Parliament /Uncut Funk The Bomb ベスト盤(大事な盤なので2回出します)
え?こんななの?速さ遅い!音古い!的な。買ったもののしばらくは聴いてなかった。
HIPHOPって実はP-funkの子供たち。
しばらくして衝撃を受けたのは90年3月DIGITAL UNDERGROUDの盤。過去コラムで書きまくってますが。六本木WAVEの店員さんから。僕の顔を見るなりP-FUNKのベスト買った?(書いましたアルタのシスコで聞いてないけど)あぁそうなんだ。集めといたよ好きなの、と。カウンターの後ろから出した数枚のうちの1つがこれ。SEX PACKETS。タイトルで既にヤバいでしょ。(今じゃコンプラ的にアウトでしょ。)
で書いました。聴きました。死ぬほどヤバかった。
*Digital underground /Sex Packets 1990年
これが!どんだけP-FUNKをめちゃめちゃわかりやすくサンプリングしてんすか!ってアルバムで、その次のアルバムはSons of the Pというタイトル。
*Digital Underground / Sons of the P 1991年
Pの息子たち。って名乗ってます。PはもちろんP-funkのPです
ジョージクリントンも参加してたから公認?
*Dr.Dre/TheChronic 1992年
*Snoop Doggy Dogg/Doggystyle 1993年
Digital Underground聴いて、あぁ!そうか!Parliament /Uncut Funk The Bomb ベスト盤でフレーズを聴いたんだ!ここか!って感じ。Dr.Dre/TheChronic やSnoop Doggy Dogg/Doggystyleはその後P-funk聴きまくってたので超楽しめた。未だに良く聴いてます。
この時期のHIPHOPはP-funkのフレーズを元ネタにしている曲がとにかく出まくっていて、流行っているそれらと並行して元ネタであるP-funkの再発CDを探して、聴いて買って掘って聴いて買ってを繰り返し繰り返し。掘って掘って掘ったら、いつまにか足元が「沼」でした。歩くたびにハマる。ズブズブとハマっていく。動けば動くほどハマる。沼です。
ハマりまくった90年から93年くらいはP-FunkのCDを買いまくってました。
(繰り返すけど。店に行くたびにハマる盤を何枚も何枚もリコメンドしてくれた六本木WAVEの店員さんや渋谷CISCOの店員さんには沼にハメていただき深く感謝)
ジョージ・クリントンのソロ曲ATOMIC DOGはサンプリングされまくっていてその数300曲以上。曲を。というよりもその根底に流れる思想。90年代以降のR&BやHIPHOPかくあるべしという「規範」というか方向感というかを示してますね。
その辺はこちらのコラムをご参照くださいましー。
気づいたらなので、多分相当偏ってます。
長いイントロはこれくらいで。
規範というとめちゃめちゃ固いんですが、今までに一番多くライブに参加したのがP-funk。参加したライブで、そう、「規範」を感じる出来事があったんです。はい
初回のライブは新宿で。
1992年(1月だった記憶が)に新宿は厚生年金会館でのライブでのこと。
会場の一番後ろで踊りまくってたら、ジョージ・クリントンがステージ上手(向かって右)からスッと姿を消します。今までライブと言えば、最初から最後まで演者はステージにずっと居るもんだと思ってたので、何があったんだろと。姿を消している間、ドラムとベースはずーっとFunkリズムを刻んでいますからライブは終わってないなぁと客電もつかないし、なんだろと。
5分くらいFunkリズムだけ鳴る会場の後ろから、ツアークルーの人が(僕よりでっかい黒人のスタッフ)当時のビデオカメラ担いで入ってきて、その場でガーっと会場を撮影しており、ぐるっという感じでカメラが僕に向けられしばらく僕を撮影しはじめます。
大緊張。ピースサインじゃダサいな。えっとファンクのハンドサインあったななんだっけと……。自分なりにFunkyな「顔」をしたら、撮影クルーが大笑い。その瞬間、撮影クルーの後ろにスッとジョージ・クリントン!カメラを担いだスタッフがジョージに耳打ちします。そしてジョージがこちらをガン見。指さされて。
You keep da Funk!
最初何を言ってるかわからず、一緒に行ったバイリンガルが聞き取ってくれた。
あの声で超至近距離で、そんなこと言われたら緊張しますが、なんとなくうっすらと「規範」を感じたのでした。
伝説の5時間ライブ。
で。2回目はもはや伝説の93年アースツアー川崎クラブチッタ5時間ライブ。前座がBoostyで1時間半くらい、前座扱いってのもすごいけど。客演の同じようなタイミングで同じように後ろのドアから、どカーッと。どカーッとです。(「ど」が「ひらがな」な感じ)
ジョージ・クリントンが会場に入ってきたのでした。
あ、一緒だ!ってドキドキします。会場はザワザワします。周りに居た川崎クラブチッタスタッフがオロオロ。そりゃそうです。その時、手にはぶっといアレをお持ちになられて、えぇ。「規範」ですね。それはそれはいわばガチな目をされておりその目と僕の目が合うわけです。まるで「お、お前来てたのか。」的な笑みを浮かべ、そのぶっといアレをおらよ!と差し出し、、、
You keep da Funk?
と。(疑問形というか「おう居たかお前。最近はどうよ的な」。)
アレはどうなったのかはここでは書けないし、アレに関してはアレしてくださいませ。(アレはなんだ!)
はい。繰り返します。そうです。はい。「規範」です。
なぜかビルボード東京というハイソな箱。
次には、しばらく空いてしまい、2016年のビルボード東京。ご存知かと思いますがめっちゃ狭いステージ。六本木ミッドタウンにあるライブハウス。
さすがに会場後ろからの、どカーッとはなく、ステージ上から、誰が居るんだ?的な感じで見渡して、目があった時にうんうんよしよしという頷きからのファンクサイン。とアレをアレする際のハンドサイン。鳥肌です。
この時のステージはFunkadelicの33年ぶりの新作First Ya Gotta Shake the Gateからの曲を盛り込みクリントンファミリー(息子や孫)がステージで演奏するという演出。さすがに爺ちゃん感が出てましたね。会場が会場だけにアレをアレするのはなかったです。
超ラフラフ
そして2018年サマーソニックのソニックマニア。
ビルボードのステージとは変わって、超リラックスした演奏。というかリハっすかこれ?って思うくらいラフな感じ会場の反応とかを拾って次の曲決めたり、とある曲のフレーズを差し込んだり、その場でループしたり。ループしてる間に次の曲入れたりその場でつなぎあわせてという今までに無いような演奏。おいおいDJじゃん。
僕は会場の下手側の前あたりに居たからなのか、そのライブでは目を合わせることがなかったけどね。
2019年引退ライブ
これもビルボード東京。もうこの時にはジョージ・クリントンも78歳。体力の限界でライブから引退する宣言の直後で、半分くらいはステージ上の椅子に座ってた。
引退かぁ。と思ってたら
引退ツアーっていうからもう生で見れないのね。と思いきや。19年から数年リハビリしたようで。
2022年も2023年もツアースケジュールバリバリあるじゃないですか!
2022年の4月にはRed Hot Chili Peppers と共演とかしてるし!なんか見た感じ元気になってるし!You keep da Funk!まさに!今年82歳とは思えない。
Red Hot Chili Peppers with George Clinton, Give It Away at The Fonda Theater 4/1/2022 [4K]
2023年も30年先の2053年も僕は keep da Funkするしかないでしょ!
「規範」をかっちり守りますよ。自伝ではアレをもう止めたらしいですけど、元気になってるから本当にやめたのかも。でもまたアレをアレしてるのかも。そういうのもまたFunkの「規範」ですかね。
*わかっている人が作った「しおり」
WELCOME TO THE DAWN-YOU Keep da Funk イベントのご案内
という勢いで!DJ AKKY超久しぶりのDJイベントやっちゃいます。
下記イベントページからぜひぜひ。(当日券のみ。事前予約不可)
いつもはプリンス中心なんですが、今回はP-funk やそれをサンプリングしたHIPHOPなども多く入れていきます!お約束のVJ TASKUとの久しぶりの活動や、隙間ガールズさんとの共演など、一緒にファンキーな夜にしましょ!
そしてもう1つ
スペシャルゲストの参加決定!前回のコラムで掲載させていただいたgroovyname!