mugazine×文字=むがもん。
ルールはたったひとつ、文字のみであること。
禁煙385日目。
2019年1月25日、私は禁煙を始めた。
過去にも「節約のため」「体のため」「なんとなく」という理由で禁煙したことがある。数日から数週間、長くても3ヶ月ほどで断念したと言えば、禁煙あるあるだろう。ある日ふと「我慢せずに吸えばいいじゃん」という気持ちになるのだ。
今回の禁煙は、かれこれ1年以上続いている。
今では煙草を吸いたいと思うことはほとんど無く、他人の煙草臭に嫌悪感を覚えるという禁煙成功者の黄金パターンに入った。
それこそ最初の数ヶ月は必死だった。15年以上続いた喫煙習慣を失くすためには、煙草を吸いたいと思った瞬間に「やめろニコチン!お前なんかに負けないぞ!」と全力で煙草を悪として扱い、自分を鼓舞する必要があった。
これまでに煙草を吸った場所やシチュエーションというものは、自分が思っているよりも深く脳に刻み込まれている。努力の末、家では煙草を吸いたいと思わなくなっていても、外出先で唐突にニコチンを欲して「あぁ、この店ではいつも吸ってたから…」と、無意識の習慣に悩まされるのだ。
そんな日々も半年が過ぎる頃には、これまでとは逆に煙草を吸わないことが習慣になってくる。煙草を吸わない生活に慣れてさえしまえば、アメもガムもいらなくなる。
そして私はどんどん太った。別に必要以上に食べているつもりはないのだが太り続け、この1年で10キロ太った。煙草をやめるとメシがうまいだの、口寂しくて常になんか食べちゃうだの、そういう自覚はないのに10キロも太った。
花も恥じらう36歳の乙女にとって、この仕打ちは耐え難い。
だがしかし、私が禁煙で得たのは脂肪だけではない。私が禁煙で得た最大のもの、それは「働かないことへの免罪符」。
そう、私は働きたくないから禁煙したのである。
2019年の1月、このまま煙草を吸い続けるためには自分の煙草代を自分で稼ぐ必要が出てきた。それならばと禁煙を選んだのは他ならぬ私であり、働くことは煙草を止めることよりも辛く苦しいことだと判断したからだ。
実際、自分のことを「ひきこもり主婦」と名乗る私にとって労働は苦痛以外のなにものでもない。求人広告を見るだけで涙が溢れ胃がキリキリと痛み鬱になる…そんな私に労働を強いることは、ニコチンをもってしても不可能なのだ。
「働かざるもの吸うべからず」
働くくらいなら煙草なんかやめてやるよ!なんて、我ながらかっこいいと思う。