どうも、ご無沙汰しております、おみそです。
前回から1ヶ月近くも経ってしまってからの振り返りとなりますこと、読者の皆様には誠に申し訳ございません!どうもこうも、色々あったのですが、詳しくは7月25日の回をお聞き下さい。
そんでもって、その回の振り返り記事もご覧頂ければ、全てまるっと分かります。それでは、今さらですが7月4日のみそラジ振り返っていきましょう!
(ほりたみわからのコメント)
おみそさんからいただいた原稿の編集にさらに日数がかかってしまい、これまた申し訳ございません!わたくしの人生色々あるの毎度のことですので、今一度身も心も引き締めてまいります。
お詫びと言っては何ですが、今回のダイジェストはラジオ聴きそびれた方だけではなく、聴いてくださった方もお楽しみいただけるであろうボリュームの補足コメントになっております!
自意識についての考察
何を隠そう私おみそは、たまに自分の意識が遠のく瞬間があります。不定期でこの現象が起こるので自分でも不思議な現象の一つでして、最初にこれに気がついたのは、確か高校2年生くらいの時でしょうか。
今でもたまにありますが、当時よりは冷静なものです。初めてこの現象に陥った時はもう、頭がおかしくなりそうになりました。さっきまで普通に友達と会話していたのに、ふと、「アレ?今この人と話している自分は一体何なんだ?」となり、脳内プチパニックに陥るのです。
(ほりたみわからのコメント)
あるよねこういうこと。おみそさんのこれとは違うのかもしれないですが…。
思い起こせば子供の頃から悲しいことがあったときに、「あえて自分を切り離す」という行為をしていました。
ほりたみわはこのように悲しんでいるんだなということをあっち側(こっち側?)から観るということをする子供でした。
主に人と話している時に起こる現象
自分を「自分」だと認識し、他者におみそだと認識されているものが一体何なのか分からなくなるのです。(幽体離脱のような、魂が抜けそうになるような感覚)
急に自分の外側から自分自身を俯瞰して見ている自意識があることに気付いてむず痒いような気分になります。
(ほりたみわからのコメント)
こういう感覚的なものは個人差があるのでなんとも言えないのですが、自分にしろ他人にしろこういうこともあるんだねえって思えることが大切な気がします。
こういうことを否定し始めるといろんなことが苦しくなってくるんじゃないかな。なのでそこを気づいてそのままにしておけたおみそさんはステキです。
天柱石でシリウスの記憶が蘇った?
ほりたさんの話を思い出した以前、ほりたさんが自分の魂はシリウスから来た事を知ったという話。(LINEを遡ってみたらその会話が出てきたので送ります。)
(ほりたみわからのコメント)
シリウスから来たって言いつつも、「じゃあそれを証明してよ」って言われるとそれもできないのであんまりこういうこと言いたくないんですけどね。でもそれ思い出しちゃったんだからしょうがない。
見えないもの観えてるのも100%間違いないとも思ってないですけど、全否定するのも違うよなあと思うので、全肯定も全否定もしないけど、「そのように感じた」というお話です。
「自分の心」だと思っていたものが、「ほりたみわの心」だったということに気付いた
おそらくはおみそが感じている感覚もこれなのかなあと思うのですが、おみそは一体どこから来たのかとか知りませんので誰か教えて欲しいものです。
この時の会話でほりたさんが言っていたけど、このことに気付いた瞬間に「ほりたみわ」とのシンクロ率がガタッと落ちたというのが、正におみそが毎回魂飛びそうになってる現象なのかなと。
(ほりたみわからのコメント)
この感覚は子供の頃にやってた「それ」ともまた違っていて、心が本当に穏やかでさざなみすら立たない状態でした。言葉にするならば「至福」「三昧」が近いのかなあとも思いつつ、でもそれで日常生活は送れないよなあと思いながら戻ってきました。
前世の記憶が無い理由?
魂は輪廻転生をしているっぽいけど、何故ほとんどの人は前世の記憶が無いかって、多分その記憶があると今入っている肉体とのシンクロ率を保つのが難しくなるからではないか、みたいな話になりましたね。世の中って上手く出来てるわ。
(ほりたみわからのコメント)
これもさっきのシリウスじゃないですけど、確実に「わたくしの前世は〇〇です!」と言えるようなものは保持しておりませんので想像の範疇を超えない話でしかないんですけどね。
いずれ「ぎゃああ!!これは!!!!」という前世を思い出した暁にはラジオでお話したいと思います。
役者の感覚と似ている?
これってもしかしたら役に入るような感覚なのかも。知らんけど。byほりたさん
「最高の人生の見つけ方」を観たほりたさん「吉永さゆりの親指がすごかった!役者のすごさが分る!!」(どのシーンの指か謎)
(ほりたみわからのコメント)
ここです!終了21分前のこのシーン。映画で一番感動したシーンです。
あたり前だけど、この瞬間「吉永小百合」ではないんですよね。いやあすごい。このシーンのためだけに観て!なんならこのシーンだけでも!
個性とは何か?
ほりたさんを知る人たちの中には、ほりたみわという人を形容する時「個性的」という言葉を用いる方も多いのではないでしょうか。
髪の毛から服装、足元までとにかく全てがカラフルだし、持ち物も独特。どんな生活してるの?とお思いの方もいるのでは?
枝豆とか食べてますし、機械に乗ってぶるぶるしたりしてます。(おみそ談)
当の本人にどうしてそんな外見なのかと聞くと、つまりは「誰かや何かの役に立てるかどうかが大事」だと思っているとのこと。
ほりたさんは見た目を普通にしたらごく普通の人なのだそう。
人に覚えてもらうため、そしてほりたみわというものを分かりやすく説明するためにやっていると個性になる。例えとんがって見えていようとも、それはみんなのためのとんがりなのです。
(ほりたみわからのコメント)
機会があれば「普通」と言われる服装や髪型にして、街中に埋もれていくわたくしを見ていただきたいくらいに顔も身体的特徴も地味な自覚があります。
意外といろんな方とお会いすることが多いので、ご挨拶の度に「あれ…どなたでしたっけ…」みたいな反応をされた時の何ともいえない申し訳なさ。
これという特徴がなくてすみません…って思うくらいなら、何かしらの特徴があればいいよねという思いから気がつけばこうなっておりました。今現在行き過ぎた感もないのですが、これ以上どうにかなることもないと思われます。ほぼ完成形。
まとめ「私」だと思っているから私なんです!
個性って、自分がどうかよりも周りがどう思うかが大事ですね。おみそはフォトグラファーという仕事柄、現場で目立たないためだったり、何かに反射して映り込まないために黒い服を着るようにしています。(フォトグラファーが集まるとみんな真っ黒な時が多々ある)
おみそ的には自分の写真に個性は別に無しと思っておりますので、以前ほりたさんからも「無色透明な写真」と形容されたことがとても納得できました。
私が色々な仕事を受ける中で目指してきたことは、クライアントの求める理想へ近づけることだったり、そこに存在するものをそのまま写すことだったりするので、そりゃ個性とか無いよなあと思うんですよね。むしろ邪魔でさえある気がします。
例えば舞台なんかを撮る時には、役者さんの輝いている姿をとらえること。そしてその輝く「光」をそのまま受け止めて、反射させて写すことができたらそれでいい、と思います。
人物にしても商品にしても、まずはそのものを観察して、そのものから発する光をキャッチして写し出しているのがおみその、というか、写真というものだと思います。
そんな感じで基本的には見たままを撮れば良いだけと思ってはおりますが、しかしそれ(無色透明)はそれとして、今後の自分が作り出そうとしている作品は果たしてどうなるのか。今後のおみその課題ですね。
ほりたさんによれば個性が無いというのも個性になるのだとか。これは全ての無個性さんにとって朗報でしょう!(褒めてます)
(ほりたみわからのコメント)
自分が「個性」と思っていたものは意外と個性じゃなかったなんてこともあります。自分のことなんて自分が一番客観的に観れないですからねえ。ものすごく当たり前の話ですけど、意外と気づかない。
あー、いつか「個性」についてお話していきましょうかねえ。見つけ方と活かし方について。楽しそう。