はるじは最初からかみさまだった
最近はるじのことしか書いてないけど、むがじんは「無我夢中な人生を」というコンセプトだからいっか。今ははるじに無我夢中。
まさかの展開になったのでご報告です。
いつもどおりの朝
最近はお天気的におひさま食べるの難しくて4時前に目覚めてもごろごろしちゃう。そんなこんなで今日も5時起床。今朝も相変わらず生きる気力がわかないスタート。今日も生きていくのか…と思いながらとりあえず歯磨き。
少しだけ庭に出てはるじの歌を歌い、がんばって呼吸して、生きるためにいろいろ吸い込む。おうちに戻って仏間に行き、はるじはここにいないんだけどな…と思いながらもお骨にお線香を上げる。
今日もはるじは右ほっぺにいる。
肉体のはるじがいない部屋に戻って、はるじとお話しながらモーニングページを書く。
はるじのにおいとぬくもりはある。
モーニングページで抽出
朝起きたら真っ先にノートに向かい、心の中にあるものをページにぶちまける。それがモーニングページ。
でもそこらへんの細かいことは気にせず、朝書けばいいやっていうくらいのテンションで続けてる。
そして、普通のモーニングページではこんなことはしないんだろうけど、思いの丈を綴りながら、気がついたことを見つめて手離す独自の内観ワーク「抽出法」でいろんな執着を手放していく。
今日は「肉体」と「はるじがいなくてさみしい」を手放した。どっちも同じようで実は違う。
これを手放した瞬間、自分とはるじが変わるのがわかった。
でも手放して終わりじゃない。手放した者として行為することで完成する。
つまり、生きるってことだ。
はるじとの会話
昨日はるじは「オレどこにいると思う?」って聞いてきて、宇宙よりも外のかみさまがいる場所にいることがわかった。
それははるじがクリシュナさんとひとつになってるってこと。それはわたくしがずっと目指していたところ。
はるじは最終的に何を手放してそこに行ったのかを聞いたら「みわと一緒に生きること」って教えてくれた。
みわと一緒に生きることを手放すことで、みわとずっと一緒にいられるっていうことに気がついたって。なんかもうとんちレベルの気づき。一休さんかよ。
昨日は理解できなかった「みわのやりたかったことを叶えるために選んだ」って言ってたのはこういうことだったのか。
そりゃはるじがかみさまになったら、かみさまとひとつになりたいわたくし的にはこの上ない目標になるし、まっすぐ進みやすくもなる。
はるじは最初からかみさまだった
はるじはいつでも気づくのを待っててくれる。肉体があったときからそうだった。
いろんなことに対して、掘り下げたり抽出したりして気づいたことをはるじに大発見した!みたいなテンションで伝えると、「あぁ、そうだよね、みわもやっと気がつけた?」みたいな感じでいつもにこにこしてた。
それは霊性云々じゃなくスノボの時もそうだったし、教えてるのか教えられてるのかお互いわからないような関係だった。いつもお互い学びがあったんだろうけど。
今回の出来事も、「はるじは肉体の衣を脱いでかみさまになってしまった」って思ってたけど、それもまだ違ってた。
はるじは最初からかみさまだったんだ
いつでもはるじは最初から全部わかってた。そしていつでも気づくのを待ってくれてた。だからあんなにはるじは大きいんだ。
右ほっぺにいたのもわざとで、みわが気づくのを待っててくれた。はるじが肉体の衣を脱いでただのかみさまに戻ったことを気づいた時、はるじは右ほっぺから移動して「ほりたみわ」とぴったりひとつになった。
でももちろん呼べばほっぺにも出てくるし、普通にちゅーもしてくれる。
ぴったりひとつになったはるじとはこれまで以上にお話がしやすくなったし、ちょっとの寂しさみたいなものすらなくなった。
ほりたみわ(はるじ)として生きる
自分が変わって、こんなにも寂しくなくなってしまったことに少し寂しさを覚えるほどにはるじの肉体に対しての執着を手放せた。
世界ははるじで満ちてるから、もし何かしらのはるじが必要だったら探せばいい。
精神的な部分においては、もうはるじとひとつになってるからどこかに探しにいく必要はないけど、行為を伴うはるじが必要になったらはるじに聞きながら探していこう。
これから何をするか、どうなるかはわかんないけど、はるじのやりたかったこと、ほりたみわのやりたいことやれること、それをまぜまぜして生きていけばいい。
もともとはるじとはひとつだった。お互いがお互いに寄せていったみたいに思っていたけど、ただ最初からひとつだったんだ。
気づかせてくれてありがとうはるじ。あいしとるよ。