藤子・F・不二雄は先生
まず最初に、「藤子・F・不二雄」と呼び捨てにしたことを謝罪します。僕にとって「藤子・F・不二雄」は「藤子・F・不二雄先生」、もしくは「F先生」と呼ぶべき存在です。
僕とF先生の作品の出会いは「ドラえもん」でした。おそらく、多くの人の出会いが「ドラえもん」だと思います。F先生には多くの素晴らしい作品がありますが、やはりまずは通るべきは「ドラえもん」でしょう。
保育園児だった頃。母の友達の家に行った僕はその家にあった「ドラえもん」がどうしても欲しくなり、譲ってもらいました。7巻と26巻です。
今思えば、そこの家の子供の漫画を譲ってもらうというのはかなり不思議な状況です。しかし、別に僕は「ドラえもん」が好きなわけではありませんでした。それどころか、漫画が読めたわけでも、字が読めたわけでも、ありませんでした。保育園児ですから。なぜ欲しがったのかはわかりません。
そして、その後特に読むわけでもなく時は過ぎ。おもちゃ箱に入れられた7巻と26巻はボロボロになっていきました。
ボロボロの7巻と26巻
小学校に入った僕は、何故かその「ドラえもん」を読み出しました。ボロボロで、表紙の無くなった7巻と26巻を。
そしてすっかり「ドラえもん」のおもしろさにハマった小学1年の夏休み。僕は近所の本屋さん「夢屋」に行きました。小学校の入学祝いにもらった大量の図書券を使い、当時出ていた42巻までを一気に買うために。
夏休みにずっと「ドラえもん」を読んでいる僕を両親はどう思っていたのか。二人とも仕事をしていたのであまり世話をせずにいられて楽だったのかもしれません。
そして、僕はひたすら繰り返し繰り返し読み続けました。その頃には「ドラえもん」の世界観にどっぷりとハマり、2年生の夏休みの宿題はガラス瓶にドラえもんを描いた貯金箱を作りました。
ドラえもん原理主義のはじまり
ドラえもんは秘密道具で問題を解決していくのですが、小学生にはわからないような内容もいくつかありました。「Yロウ」 という「賄賂」を扱ったエピソードや、「人間製造機」ではのび太が「ふたりでいっしょに作らない?赤ちゃん!」という全く理解出来ないことを言うものもあります。
でも、未来の不思議な道具で解決するというワクワクさと、嘘をついたり、めんどくさがったり、 喧嘩したりと、人間臭さ溢れる登場人物が面白かったんだと思います。
小学1年生の正月まで漫画は「ドラえもん」しか読まず、「漫画=ドラえもん」というような「ドラえもん原理主義者」でした。
でも、藤子・F・不二雄という作者についてはまだ興味がありません。この頃はまだ「F先生」ではありませんでした。「ドラえもんの作者」です。 小学1年の冬休み、そのドラえもん原理主義者に次の出会いが起きました。(つづく)