実話なの?フィクションなの?
冒頭で「実話テイストになっています。」って書きましたが、これは私がそう判断しただけで、作者の三津田信三さんがそう言っているわけではありません。むしろ、作者自身は「実話」として語っていますから、ここはもう読者が判断するのみ。
ではなぜ、私が「実話テイスト(フィクション)」と判断したのかと言いますと、フィクションじゃないと怖いから!!
ホラーは読むのも観るのも大好きなんですけど、別に怖くないわけじゃないんですよ。怖いものほど好きなんですけど、それは怖いから好きなんであって、怖くないホラーなんかどうでもいいわけですよ。
でもだからといって怖さに強いわけでもないですし、ホラーが苦手な人と同じようにトイレやお風呂を躊躇したり、家の中の照明を点けて回ったり、そういうビビリ行為を普通にします。っていうか、ホラーなんてビビらせてなんぼなんですから、ビビリ行為を必要とする作品というのは良い作品ってことになりますよね。
で、『どこの家にも怖いものはいる』『わざと忌み家を建てて棲む』の二冊は、作者の身に起こった実話を記録して一冊の本にまとめました的な構成なわけです。「これは本当にあったことなんだよ」感をものすごく出してくるわけです。
「作り話だよ」って言われればそこまで怖くない話でも、実話として語られるとやたらと怖くなったりする不思議。
私はどちらかというと体験談ホラーが好きなので、好きか嫌いかで言うと、この二冊は好きです。(まぁ、どちらも後半ちょっと失速しますけど…)
とっても意地悪な作者さん。
『どこの家にも怖いものはいる』『わざと忌み家を建てて棲む』の二冊に共通する演出として、読んだ人にも障りがあるというのがあります。
怖い話にはよくある手法で、「話すと呪われる」とか「聞いた人の元にそれが訪れる」とか。
んなわけあるかーい!って思ってても、これって意外とソワソワしちゃって、ビビリ行為に拍車がかかるんですよね。ちょっとした物音にドキッとしたり、背後が気になっちゃったり。
この二冊を読んでいる最中、私はそれはもうビビってました。っていうか、障りに直接該当する箇所は流し読みしかしてない。だってそんな風に脅かされたら怖いじゃん!
あれですよ?怖いと感じたらこんな風に防衛策を取るのが正しいんですよ?
「かかってこいやー!」って立ち向かうにはそれなりの力が必要ですから、非力な私にできることは危険を回避することしかありません。ビビリで結構!コケッコー!
いやでもほんと、怖いと思ったら読むのやめてもいいんですよ。それこそ充分にホラー作品を満喫してると言えます。
だって、ビビらせに来てるもん。三津田信三さん、ビビらせに来てるもん。この人、すげぇ意地悪だと思いました。
おわりに。
『どこの家にも怖いものはいる』の読了後、たまたま動画配信サービスHuluで『残穢(ざんえ)』というホラー映画を観たんです。
原作者は違うのに、なんだかいろんなところで共通点を見つけてびっくりしました。でも、『残穢(ざんえ)』は別に怖くなかったです。
そもそもが文字媒体のホラー作品って、映像にすると一気に怖くなくなることが多いですよね。怖いどころか笑えちゃう感じになるのが本当に残念。
だからこそ、ホラーを存分に楽しむには小説がオススメです。個人的には断然、小説派です。
自らの想像力が暴走して、ビビリ行為全開!これこそがホラー小説を楽しむ醍醐味だと思ってます。
今年の夏は積極的にホラー小説を読んで、納涼に役立ててみてはどうでしょうか?